Cashew books

本を貪るのは好物のカシューナッツを食べるのに似ている

谷川直子『おしかくさま』

f:id:momokawataro:20190501101855j:plain

 あけましておめでとうございます。皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。

 ***

 年末いろいろ本を読んだが、サルトルプルーストなどフランスの文学を再読したくなって、部屋で大人しく読んでいた。(あとはロメールの映画ばかりみていた)サルトル嘔吐をよむと、存在論的地平が言語論的地平がどうこうというよりも、景がぼんやりと曇っていき、意識がふらついて渾然一体となる過程が描かれる、このファジーな地平は一体何なのだろうかと昔から思っていたが、結局は<ひと>と<もの>との相関の揺らぎに他ならない、と考える。いわばここで生じている事象というのは存在の根源への懐疑であり、空間的・時間的近似性の中を生きている現代人の多くが馴染みがないのは当然なのかもしれない。しかも、ところどころに悪魔とか汎神論、ナーラーヤナ「ヒトーパデーシャ」への言及などがあるが、西欧の文学作品に注ぎ込まれてきた神話のrécitに批判的に訴えかけようという狙いのようなものも感じる。

 それと、2012年に文藝賞を受賞した、谷川直子著『おしかくさま』も読了。「おしかくさま」というATMに現れるお金の神さまと、その新興宗教を信じるどこか未熟な人びとの話である。どこか、と書いたのは、40代後半になって両親をパパママと呼ぶとか、思索が表層的で深みがないとかいうことであるが、とはいえ今の世の中にもこういう方は実際存在するし、いくら義援金に寄付したかとか、パチンコでいくら勝ったかを気にして金の亡者になってしまうのも、生活に追われればありがちなことである。むしろ、ここに登場する人物は偉いところがある、少額であったとしても震災の義援金に寄付をしているとか、募金をしている若い男が募金箱から珈琲代をくすねたのを見た時に同じ額を自ら募金したりとか、自身に対して嘘を付かなかったり、気遣いや思いやりを感じられるので好感がもてる。

 結局は、この小説に登場する作中人物のことが好きなのだ。もし近くにいたら、かなり親しくなれる気がする。そんな未熟でありながらも優しい人たちが、詐欺まがいの新興宗教に半信半疑でありつつも、少しずつ足を踏み入れていく様子は、怖くもあり面白くもあった。言葉や会話にもユーモアがあって、エンターテインメントの要素が強いから面白く読み進められた。だが、それ以上の奥深さはなかった。たとえばサルトルを読んだ後だと前菜のようであり、エスプレッソに対してアメリカンのようでもあり、あっさりと楽しく読み終わった。

 細かいところだが、言葉が多用されることで浅薄になっているところも感じた。たとえば、作中何度か「AKB」が出てくるが、現代性の象徴でありそれが結末に繋がるというのは分かるが、であれば尚更、最後の美少女を形容するときの「AKBのような」はいただけない。そこで想像の翼が圧し折られる気分だし、その形容がなくても最後のオチは正常に機能すると思われるので。

 ***

  余談ですが、当時の4次予選通過者のところに、一昨年芥川賞を同時受賞した2人の名前を発見。凄い偶然。どういう作品なのか気になる。

f:id:momokawataro:20200112172223j:plain