漢検1級(R1-3)の感想
恒例であるが、今年度3回目の漢検1級を受験してきた。自己採点の結果142/200点であり、合格ボーダーの8割には届かなかった。この7割から8割のあいだの壁が非常に高く感じる。難化傾向にあるといわれる試験で7割取れたことに多少手応えは感じているが*1、今後難易度が更に増すのであれば、永遠に受からないのではとすら思う。
ケアレスミスの例としては、紛紜の紜を書き違えたり、前にも出題された汨没を(「こつぼつ」と知っていたにも関わらず)「べきぼつ」とうっかり誤答したり、対類では妹背のところに菁莪を、育英に伉儷をあててしまった。(伉儷は伴侶の意と知っていたが、妹背の意味が分からずに混乱してしまった。)
仏教語については、「盧釈那/盧舎那」「読誦」「還俗―復飾」など丁度山を張っていたところで、予想通り正答できた。*2だが、「(えこう)返照」については、「回光」ではなく「回向」と答えてしまった。仏教語の回向(廻向、追善供養のこと)にとらわれてしまっていた。帰りの書店で、『仏教語大辞典』『文藝春秋(2020.3)』(芥川賞受賞作を読むため*3)『新潮』(古川氏の「曼陀羅華X2004」めあて)を爆買いした。『仏教語大辞典』なる代物が面白すぎて時間さえあれば何時間でも眺めていられる、常に目から鱗状態。
余談だが、四字熟語で1級配当外のもの(敗柳残花、流連荒亡、回光返照)や、故事・ことわざの「高岡」「未萌」などをみると、画数が少なくいっけんスマートに見えるが、何ともいえない奥深さを感じる。漢字を勉強すると、難解な漢字ばかりに関心が向きがちだが、こういうスマートで明快な漢字の美しさ、奥深さに気付くことが大事だと再認識させられた。学生の頃、バッハの平均律を弾いていて、余計な枝葉を削ぎ落して木の幹だけが在るようなシンプルな演奏をしたいと思ったことがあったが、漢字の世界にもそういう感覚に似たものがあるのかもしれない。