万有回

主に趣味の読書について綴っていければと思います。「昭和の残り滓」といわれる世代。

春の万寿山

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  今年も春の万寿山に登ったが、多くの登山者で賑わっていた。歩く速度が他の人よりも速いのだろうか、他の登山者の方々を追い越す時に狭い山道の脇に避けてくださるのが申し訳なく、ありがたかった。逆に、登山者が下ってくる時には、極力脇道へ避けるようにした。

 落ち葉を踏みしめて歩くと、落ち葉を押しのけて可憐なミスミソウや紫色のショウジョウバカマの群れに出くわす。余り目立たないように咲いているものだから、飛ばさずにゆっくり歩こうと思う。昨年、雨に濡れたイワウチワやカタクリの艶やかな姿も美しかったが、差し込む光のなかあかるく透き通り、潤色に染まった草花の萌芽に迎えられたことの喜びもまた、一入だった。

 ミスミソウの群落で足を止めている方が多く見られたが、可憐な花が咲く姿はまさに早春の風景にふさわしいと思う。別名をユキワリソウ(雪割草)といい、雪解けのあとに春の訪れを告げるように一斉に咲く姿が可愛らしい。花弁の色も、白やピンクだけでなく、黄色、赤紫、青などさまざまなバリエーションがあったり、千重咲きや唐子咲きといった華麗な花形のものもある。

 天候にも恵まれたので、山頂付近の鉄塔の隅でランチ。朝早く起きて簡単にこしらえた弁当。中身は、梅と野沢菜などを細かく刻んでおにぎりにして、卵焼きと焼いたハムで包んだもの。ブロッコリーやアスパラなどの野菜。ベーコンや玉ねぎを炒め、トマトや卵を入れた春雨スープ。腹ごしらえした後は運動も兼ねて、ピストンせずに反対側の別ルートを寄り道することに。下山したら熱い温泉に浸かるのを楽しみにしつつ。

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 ここ数日、鞄に入れて持ち歩いていた、ブルース・チャトウィンパタゴニア河出書房新社、2017)を読了した幼少期、祖母の家にあったブロントサウルスの皮(船乗りであるチャーリー・ミルワードが、チリ領パタゴニアラストホープ湾付近の洞窟内で発見したもの)に興味を惹かれる。やがて、ブロントサウルスではなくミロドン(巨大なナマケモノの皮と判明することになるが、パタゴニアへの興味は一層募り、その皮の起源を辿っていく話。

 1914年のパナマ運河開通以前、パタゴニアは太平洋と大西洋を行き来するための航海路だった。マゼラン海峡をめぐる命懸けの航海はひたすらにドラマティックであり*1堀江敏幸が『パン・マリーへの手紙』で書いたような、「運河」における自然と人工が一体化した独特の佇まいというものは感じられない。しかし、単なる過酷な旅の行程を描くのではなく、ところどころにユーモアのあるエピソードを挿みつつ、ここまで知的好奇心に訴えかける筆致で展開していく小説というのは類稀であるように思える。

 それにしても、ボートがマゼラン海峡に入ったあたりのランチが面白い。「スープ、缶詰のサケ、ゆでた羊とウサギ、「ろくでもない中身の」ゆでたジャムロール、そしてコーヒー」(274)――裸で歯をガチガチと震わせながら、神に航海の無事を祈りながら食べるこのランチ、想像するに究極の一瞬ではないだろうか。

パタゴニア (河出文庫)

パタゴニア (河出文庫)

 

 

*1:漂流と災難を繰り返す、この一連の航路は複雑で奇妙な線を辿る。偶発的であり、かつ虚構的である。たとえば、梅棹忠夫は『「中洋」の国ぐに』で、「中洋」(西洋と東洋のあいだの広大な地域)は文化の多様性を有しているが、西洋と東洋を行き来するうえで単なる通過点として忘れ去られてしまうと指摘している。イギリスからブエノスアイレス、XからYという地点まで直線で結ばれるのではなく、漂流という負の事象が作り出す奇妙な線の捩れこそが、「距離ではなく実質」であることの豊かさを指し示すように思える。