万有回

主に趣味の読書について綴っていければと思います。「昭和の残り滓」といわれる世代。

深夜焼肉の誘惑

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 GWは東京や新潟へ行ったり、地元で過ごしたりしたが、旅行先に住む友人や帰省する友人と会うとなると、決まって深夜まで遊び耽ることとなる。焼肉を食べたり、ファミレスへ行ったりするのだが……、そこで待っているのが「深夜メシ」における禁断の悦楽である。

 なかでも、焼肉を食べようと画策したのは、夜12時を過ぎた後だった。しかも、その前に洒落たバーへ行って、酒を飲んだ後の締めとして。ささやかな罪悪感と後悔の念を抱くも、夜中にほとばしる肉汁の誘惑には勝てない。

 ふだんは寝静まっている深夜の時間帯に、重い扉の向こう側でA4ランクの黒毛和牛を焼き、齧りつくという非日常。矛盾しているようだが、ふだんは糖質やたんぱく質などを気にし、意識的に食事制限しているのだが、GWという非日常においては完全に意識の箍がはずれてしまう。だが、夜の焼肉にかんしては、やはり友人との凝縮した会話の内容にしても、あるいは酒を愉しむという意味でも、昼間に食べる焼肉とは違う魅力があるのは事実のようである。

 以前、なにかで角田光代トルーマン・カポーティティファニーで朝食を』を評していた文章を読んだ記憶があって、そこではこう書かれていた。朝食というのは、歯を磨いて顔を洗うという忙しなさの延長にある日常の行為であるが、昼食や夕食はわりと余裕がある中で味わうことのできる非日常である、と。だからこそ、ホテルや旅館の朝食には突然もたらされた非日常に心ときめくのである。小説のなかで語り手とホリーが憧れのティファニーで朝食をとらずにマティーニを呑んだり、気を衒ったり趣向を凝らした料理ばかりを頼むのは、要するに「非日常の愉悦」を味わおうとしているのである、と。

 だが、深夜メシというのは、1日3食というサイクルの埒外にある禁断の愉悦に違いない。たとえば、築地の河岸の人や料理人が日の出前に食べる、刺身や焼き魚などの豪華な定食というのは、気を引き締めるという意味においても特別であり、普通の人にとっての「朝食」の概念と遠くにあるものだろう。まだ日の出前の、外が暗いなかで腹ごしらえをすることが僕はずっと羨ましいと思っていた。それは何だか特別な感じがして、日常のサイクルの埒外にあるということが羨ましかったのだと思う。そういうことからしても、深夜メシを食べるというのは、日常的に健全な生活を送っていては得られることのない禁断の果実であり、それまでに味わったことのない愉悦を味わう気分だった。それどころか、よりによって「焼肉」という最も高カロリーなものを頬張るというのはかなりの罪悪感が圧し掛かるとともに、至福の瞬間だった。

 本当に矛盾しているようだが、その時私の鞄のなかには、図書館で借りた「禅僧ごはん」の本が入っていた。精進料理とは食べてはいけないものがある=食べ物に感謝していただく、ということであり、肉・魚介類・卵・大蒜・ねぎ・韮・玉ねぎ・らっきょうは食べてはいけない。動物性の食材を使用しないのは、「不殺生」という仏教の観点によるものであり、「五葷」と呼ばれるネギ科ネギ属の野菜、大蒜や韮も性欲を刺戟するということで食べないのだ、と書かれている。仏教の教えというのは、美味しいものを食べたいという欲望から離れ、不自由における自由を愉しむということなのだろう。これだけ食に対して意識的だったにもかかわらず、深夜焼肉という禁断の領域へ足を踏み入れてしまったことを反省し、明日からしばらく1日1食にしようと心に誓う。

大槌城址

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 きょうは、4月下旬とは思えないほどの蒸し暑さだった。外の温度計は、31℃という数字を映し出していた。

 知人と大槌城址付近を散策。桜の花も殆ど散ってしまい、新緑の若葉が青々しい。いまや城内には誰の姿もなかったが、2週間ほど前なら大勢の花見客で賑わっただろう、と思い浮かべてみる。

 「大槌城址」という石碑のある広場へ着き、さらに市内を一望できる高台へと上ったあたりで、ウォーキングをしていた高齢の方に話し掛けられた。ウォーキングを趣味とする78歳の方で、あそこが私の家なのです、と大ケ口方面を指さす。うちのおばあさんもおじいさんも津波で流されてしまって、ハザードマップでも浸水しない区域のはずだったのですが……。

 ――でも、亡くなった方には申し訳ないですが、津波が来てある意味では良かったのかもしれませんよ、と彼が突然ふっきれたように語り出したので、驚いた。しばらく間をおいてから、なるほど、そういう考え方もあるのですね、と返すと、彼は更にこう続けた。

 ――こうやって高台までウォーキングしてきて、こうやって市内を一望すると、ああこんなに町が変わってきているんだなあと実感しますね。ほら、あそこにインターが出来てきているでしょう。もうすぐ完成すれば、釜石や宮古までも2~30分で行けるでしょう。私が生きている間に実現するかどうか知りませんが。もしかしたら見れないかもしれない、私は延命治療だけはしないでくれ、と家族に伝えてあるので……。

 たしか釜石北ICと大槌が結ばれるのは平成31年度ですよね。そう訊くと、彼は感慨深そうに頷く。もうすぐの開通ですからきっと見れますよ、と言うと一瞬目を輝かせたが、こう言った。

    ――けれども、見れなかったとしても別に私は何の後悔もないのですよ。私はウォーキングという趣味で人生を愉しんでいますし、ここから見えるすべての山を制覇し、何度もウォーキングし尽くしました。それに、明日も市内を10km歩くイベントに出ます。ながく趣味に没頭できるというのは意義のあることですよ。……そもそも、亡くなった方の行動検証をしている人びともいるらしいですが、それをして何になりますか、生き延びた方の行動を検証すべきでしょう、と言いたいですね。

 そこまで話し終えると、それでは、と言い残して彼は去っていった。威勢のよい話し方とは裏腹に後ろ姿は華奢で、シャツの背骨がくっきり透けて見えていた。

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 それから、4時間くらい市内をウォーキングした。暑さの割には、心地よい風も吹いていたためか、汗ひとつかかなかった。上町の小鎚神社で、休憩がてら何枚か写真を撮った。男子中学生の集団が、自転車や地べたに座ってゲームをしていた。なぜか、みんなGokuriのピーチ味を手に持っていたのが気になった。

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 ランチは、知人の勧めで、シーサイドタウンマストにある千勝という定食屋へ。数限定品の千勝定食、きょうはサンマのフライだった。まだ残りがあるようなので注文。しばらくして番号を呼ばれ、料理を取りに行く。席に戻った後、知人からドレッシングはセルフで、レジの横にあると言われ、再度レジまで取りに行く。何もいわずにポン酢ドレッシングを取ろうとしたところ、――サンマは醤油が合うと思います、と優しい声で教えていただいたので、サンマにも野菜にも醤油をかけて食べた。

春の万寿山

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  今年も春の万寿山に登ったが、多くの登山者で賑わっていた。歩く速度が他の人よりも速いのだろうか、他の登山者の方々を追い越す時に狭い山道の脇に避けてくださるのが申し訳なく、ありがたかった。逆に、登山者が下ってくる時には、極力脇道へ避けるようにした。

 落ち葉を踏みしめて歩くと、落ち葉を押しのけて可憐なミスミソウや紫色のショウジョウバカマの群れに出くわす。余り目立たないように咲いているものだから、飛ばさずにゆっくり歩こうと思う。昨年、雨に濡れたイワウチワやカタクリの艶やかな姿も美しかったが、差し込む光のなかあかるく透き通り、潤色に染まった草花の萌芽に迎えられたことの喜びもまた、一入だった。

 ミスミソウの群落で足を止めている方が多く見られたが、可憐な花が咲く姿はまさに早春の風景にふさわしいと思う。別名をユキワリソウ(雪割草)といい、雪解けのあとに春の訪れを告げるように一斉に咲く姿が可愛らしい。花弁の色も、白やピンクだけでなく、黄色、赤紫、青などさまざまなバリエーションがあったり、千重咲きや唐子咲きといった華麗な花形のものもある。

 天候にも恵まれたので、山頂付近の鉄塔の隅でランチ。朝早く起きて簡単にこしらえた弁当。中身は、梅と野沢菜などを細かく刻んでおにぎりにして、卵焼きと焼いたハムで包んだもの。ブロッコリーやアスパラなどの野菜。ベーコンや玉ねぎを炒め、トマトや卵を入れた春雨スープ。腹ごしらえした後は運動も兼ねて、ピストンせずに反対側の別ルートを寄り道することに。下山したら熱い温泉に浸かるのを楽しみにしつつ。

 ***

 ここ数日、鞄に入れて持ち歩いていた、ブルース・チャトウィンパタゴニア河出書房新社、2017)を読了した幼少期、祖母の家にあったブロントサウルスの皮(船乗りであるチャーリー・ミルワードが、チリ領パタゴニアラストホープ湾付近の洞窟内で発見したもの)に興味を惹かれる。やがて、ブロントサウルスではなくミロドン(巨大なナマケモノの皮と判明することになるが、パタゴニアへの興味は一層募り、その皮の起源を辿っていく話。

 1914年のパナマ運河開通以前、パタゴニアは太平洋と大西洋を行き来するための航海路だった。マゼラン海峡をめぐる命懸けの航海はひたすらにドラマティックであり*1堀江敏幸が『パン・マリーへの手紙』で書いたような、「運河」における自然と人工が一体化した独特の佇まいというものは感じられない。しかし、単なる過酷な旅の行程を描くのではなく、ところどころにユーモアのあるエピソードを挿みつつ、ここまで知的好奇心に訴えかける筆致で展開していく小説というのは類稀であるように思える。

 それにしても、ボートがマゼラン海峡に入ったあたりのランチが面白い。「スープ、缶詰のサケ、ゆでた羊とウサギ、「ろくでもない中身の」ゆでたジャムロール、そしてコーヒー」(274)――裸で歯をガチガチと震わせながら、神に航海の無事を祈りながら食べるこのランチ、想像するに究極の一瞬ではないだろうか。

パタゴニア (河出文庫)

パタゴニア (河出文庫)

 

 

*1:漂流と災難を繰り返す、この一連の航路は複雑で奇妙な線を辿る。偶発的であり、かつ虚構的である。たとえば、梅棹忠夫は『「中洋」の国ぐに』で、「中洋」(西洋と東洋のあいだの広大な地域)は文化の多様性を有しているが、西洋と東洋を行き来するうえで単なる通過点として忘れ去られてしまうと指摘している。イギリスからブエノスアイレス、XからYという地点まで直線で結ばれるのではなく、漂流という負の事象が作り出す奇妙な線の捩れこそが、「距離ではなく実質」であることの豊かさを指し示すように思える。

エビ中のピアノアレンジ動画

 拙い演奏で恐縮ですが、エビ中こと私立恵比寿中学の楽曲をピアノ用にアレンジ・演奏した動画をYoutube上に3曲アップロードしています。

 

youtu.be

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 昨日気付いたのですが、いくつかコメントも頂いていたようでありがとうございます。本当に個人的な趣味の延長でしかないので、アップロードするかどうか迷ってはいたのですが、楽しんでくださる方がいらっしゃって良かったです。

 クラシックピアノをやっていた人間なので、どうしてもこういう弾き方になってしまいます。特に「泣いてしまった」というコメントを頂いて、子どもの時から学校でピアノを弾くと女子が泣き出してしまったことがあったのを思い出して、腑に落ちました。バラード調のアレンジが得意なんだろうと自覚しているので、しっとりとバラード調にアレンジするのが向いているのかなあ、と思います。(楽譜に音を落とし込む作業は数学的な計算に似ていて、あまり主観が介在しない行為であるので、先日のエントリの話(文学作品は本来、書き出しと終わりが絶対的に疑いようがなく定められていて、中身は論理的演繹の産物にすぎない)とも共通するのだろう、と思ったりしました。)もともと、幼少期からドビュッシーラヴェルなどのフランスの印象主義作品を好んで弾いていましたので、弾き方やアレンジなど多くの面で影響を受けていると思います。

 いまのところは実験的にエビ中のアレンジ動画だけを載せていますが、もともとは学生時代にナンバーガールの「透明少女」や「OMOIDE IN MY HEAD」、椎名林檎の「モルヒネ」「ギブス」「ポルターガイスト」などを自分流にアレンジしたのがきっかけでした。ナンバガは(エビ中と同じで)そもそもピアノ用楽譜が存在しないので、コードから作り込むのが大変だったのを憶えています。)勿論、ナンバガや林檎さんの曲は、たいていピアノで弾けます。(高校の文化祭でも、バンドの一環で、「透明少女」「真夜中は純潔」「正しい街」「茎」などを弾いたりしていたので。

 ちなみに、アレンジ動画のうち、「スターダストライト」だけはピアニストをしている友人の家で録らせてもらったものです。ヤマハ製のグランドピアノを弾かせてもらいました。(ほかの2曲については、自宅にあるカワイ製のアップライトを使っています。)歴然たる音色の違いがお分かりかと思います。この時がいちばんきれいな音で録れました。ただ、友人の家のピアノ椅子が妙に軋むもので、耳障りな音が入ってしまっておりますが……。

 じつは、「なないろ」(バラードver.)も1年くらい前にアレンジして弾いていたので、需要があればそのうちアップロードしたいと思っています。

大江健三郎『文学ノート』

 今年の冬は例年に比べて一段と寒く、雪も降り積もって車で遠出もできない。仕方ないので、近くの古本屋で大江健三郎『文学ノート』(新潮社、1974年)を購入し、おとなしく家で読み耽る。

 第4章の「作家が異議申し立てを受ける」で、音楽・演劇・文学などに共通している「時間軸としての想像力の効用」ということを述べている。音楽では、楽譜の最初の音譜が現実の音を与えられ、最終の音が響くまでにある時間のduréeがあり、それを支えるのは演奏家と聴衆の想像力である。生命がある時間のduréeである以上、演劇や文学も同様であり、想像力こそが生きた意識のduréeとする力として、生命の根柢に存在する。

 もし、ある課題の設定があり、次にその結論があるのみとすれば、人間の営為はコンピューターの一活動と変わらぬのではないか? と大江の論は展開する。小説の書き手の内部で生じるduréeが他者にとって全く意味をなさないのも、我々にとってコンピューターの運動が数字の束でしかないのと大して変わらない。

 「課題の設定」とは即ち仮定であり、吾輩が猫であったとしても、あるいは朝起きたら巨大な毒虫に変貌していたとしても構わない。その仮定が疑いようのない絶対的な公理となる。その公理から結部へと論理的に演繹していくという一連の作業を要すのであり、その論理性の演繹において、いわば「不自由における自由」を得ることができる。「書き手の内的空間におけるdurée」などというものは、音楽が音に限界づけられることによって宇宙的な拡がりをもたらすように、あるいは演劇がうごきによって拘束されることによって比喩的な増殖をもたらすように、書き手の場合も言葉の規則性によって縛られることによって初めて成り立つのだろう。

 たとえば、グレゴール・ザムザ多和田葉子の新訳によれば)「ウンゲツィーファー」のごとく変貌したとしても、なぜ変身したかを問うことは凡そ意味をなさないのではないか、と個人的に思っていた。何で、と問うのではなく、変身という事実をまずは認め、そのうえで言語の論理的演繹の運動に身を委せるべきなのではないか。与えられた条件のもと運動する言葉の芸を見届け、そこで示された一連の行為を追認すべきなのであって、Xという仮定そのものにとらわれている場合ではない。『文学ノート』(大江)にも、「何を書くかということよりも、書く行為自体が重要である」という類のヘンリー・ミラーの発言が紹介されているが(ミラー流にいえば、書くという行為こそが「太陽神経叢」[第3チャクラ]に係わること)、ミラーも書き手と書くという行為とのあいだにある「開かれた作用」の可能性を信奉していたのだろう。

 そもそも、「何か」にあたる部分を厖大な研究成果であきらかにしようと試みたものについては、書き手にとっては至極迷惑な話でしかないのだろう、と昔から思っていた。それを「解釈」といってしまえば一見まともに思われるが、解釈というのはもっともらしければもっともらしいほどもっともらしくない、ということもある。ニーチェが、真理と誤謬は同じものだというような旨のことを言っていたのを思い出す。

H29-3漢検を終えて

 先日、平成29年度第3回の漢検1級と準1級を受験した。じつは、準1級は既に持っているのですが、せっかく漢検1級の勉強をしているので高得点を狙えればという思いで受験した。が、至るところでミスを連発、自己採点したところ170点程度。ボーダーは一応超えたものの、余り意味のない結果となってしまった。

 肝心の漢検1級の方も、ケアレスミスは思ったほど生じなかったが、難問に手こずってしまった。(無念にも合格には手が届きませんでしたが、自己採点どおりなら152点なので、少しずつ合格に近づいてはきている!)対類、文章題が殆ど出来なかったのが悔しい。「礼楽刑政その極は一なり」なんてどれだけ頭を捻っても出てこなかった。『中国古典名言事典』を繙くと、礼楽と名の付く諺は割と散見されるのですが。(「礼楽は斯須も身を去るべからず」「礼楽は天地の情に偵り」「礼楽は徳の則なり」等々)こういう問題について、現時点で私の勉強法ではカバーできないので(そもそも、こういう1級配当漢字でない「四字熟語」は捨ててしまっているので、「四字熟語」という観点でもカバーできなかった)、今後はこういう盲点をどれだけ潰せるかにかかっていると思う。

 さすがに3回目の受験ということで四字熟語15問中14問をカバーできたのは幸いだったが、唯一外した「気韻静動」(そもそも「韻」は準2級配当漢字ですし)については、完全に盲点であって、現在の私の勉強法ではカバーできなかったと思う。とはいっても、他の設問は全て合っていたので、唯一残った「せいどう」から推測可能なレベルだったので、それはそれで悔しい。そういえば、1回目で「余韻嫋嫋」が出題されていたので、そのときに「韻」つながりで頭に叩き込んでおけば案外カバーできたかもしれない。

***

 余談だけれど、最近、仕事でとある記者の取材を受けた。取材後の雑談で、時事や出版の話などいろいろできて、非常に楽しかった。相当マニアックな話になって、「何でそんなこと知ってるんですか」と言われたりした。「〇〇さんみたいな公務員の人は初めてお目にかかりました」とまで言われた。「そもそも公務員に向いてないんだと思います」と自虐的に笑って返した。

 記者の方と話していると妙に共感するのは、「言葉」に対する考え方の違いなのかもしれない。記者は文章で生計を立てており、言葉はなまものであるという認識が潜在的にあるのに対し、公務員という世界の人間は、どうも言葉を堅苦しく規律化されたパターンのように捉える節がある。言葉は意味だけで成立するわけではなく、意味を引いた時に何が残るかこそが重要なので、素人が言葉を意味だけにとらわれて簡素に繋ぎ合わせようとするとスリップして大事故に至る恐れもあったりするのは目に見えているが、そういう認識すらない人が多いことに驚きを隠せない。つまり、私はいま、言語の蓋然性を尊重しない世界に在る、と堅苦しくかつ率直にいってそういうことなんだろうと思う。条文のような無味乾燥な言葉よりも、最前線の事件を暴き出そうとする言語のテンションに軍配は上がるだろう。

 先日、某庁の公印を見た時に、それがダリの「内乱の予感」という絵にしか見えなくなったことがあった。篆書の「文」は、引き延ばされた乳房に酷似している。それで、白川静の「常用字解(第2版)」で文という字を調べてみると、死者の霊が死体から外へ出ていくのを防いで死者の復活を願い、また外からの邪霊が憑りつくことを防ぐものであり、元々は胸部に入れる文身(入れ墨)の意味であったと書かれている。「文」の中央に心臓を書いたり、✕を書いたり、Vを書いたりしたという。爽(あきらか)、爾(うつくしい)、奭(あきらか)なども、この死体に施す入れ墨から派生した語だった。

 アリストテレスが喜劇よりも悲劇を重視したように、言葉の歴史などを繙いていくと、決して綺麗事ではなく、物凄く不気味で、どろどろしたところに繋がっていく。そこに真実味がひろがっている気がして、調べるのが止められなくなる。たとえば「人」という字も、決して「人と人が支え合う」などという綺麗事を意味しない、ということも教えてくれる。新聞記者の方との取材は、仕事のこと以外にも、そういったことを思い起こさせてくれるものだった。

西部邁氏の訃報について

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 先日、評論家の西部邁氏が多摩川で入水したという訃報を見て、驚いた。

 西部氏の著作には中学生の頃から触れていたが、更に個人的な思い出もある。大学に在籍していた頃、ゼミの授業に西部氏が講師として来られたことがあった。日本の核保有が講義のテーマだった。最後に質疑応答があったので、私は挙手して次のように質問した。

 「中国やインドなど核を保有している国は多いですが、なぜ北朝鮮が核を保有してはいけないのでしょうか」

 というのも当時、メディアでは北朝鮮独裁国家という図式の報道が過熱してきていると感じられたし北朝鮮側がなぜ核実験を繰り返すのかという根拠は全く議論されないままに)、中国、ロシアなどの核保有国が民主主義的であるという前提も揺らいできており、世界情勢のなかで危険な方向に向かいつつあると感じられたからだった。

 すると、西部氏からはこんな答えが返ってきた。

 「あなたのその発言は、99%は正しいが、後の1%が決定的に誤っている。それは、北朝鮮が危険な国家、アグレッシヴ(侵略的)であるということに尽きるでしょう」

 おもうに、99%が正しいが云々という独特の言い回しにはこういう真意があったのではないか。核保有論が封殺されている日本でそういった疑念や問題意識を持つのはよいが、アグレッシヴな事件、たとえば拉致事件があったばかりにもかかわらず、被害側の国民として北朝鮮の核保有を赦せるのか、と。要するに、「北朝鮮はなぜ核を保有してはいけないのか」という発言は理論的には誤りではなくとも、現実的判断として無自覚ではないか、ということではないかと個人的に推測した。

 それから数年後に『核武装論』講談社現代新書、2007年)が刊行され、すぐさま読んだのを憶えている。残念ながら手元に無く、記憶を辿るしかないが、北朝鮮に比べてアメリカを始めとする核保有国が莫大な量の原爆を保有している一方、NPT核兵器不拡散条約)の核軍縮等の条約について遵守できていないところもある。それに、ロシアや中国では民主主義であるがゆえに独裁制が生まれ、イラクの場合は民主化がコミューナリズムの引き金となったのだから、民主主義が安全たるいかなる根拠もない、と書かれていた。しかし、そういう危惧すべき現状があったとしても、北朝鮮は侵略行為を繰り返す国家であるというのが国際社会の常識であって、まさにその侵略行為、アグレッシヴな性格こそ、国際社会が警戒し全力で封殺すべき対象なのだ、と。この部分を拝読して、西部氏の発言の真意をやっと理解できたのだった。

 それにしても、ゼミナールやプライムニュース等の番組を拝見していても老いを感じることがなかっただけに、なぜ今、自らの命を絶ったのかということが不思議でならない。しかし、西部氏にはもともと自殺願望があったし、彼の思想的背景、死生観を考えれば必然だったとも思われる。改めて、西部氏による江藤淳の追悼文「自死は精神の自然である」を読むと、明晰な死生観の表れを感じることができ、感涙に咽んでしまう。以下、引用を列挙したい。

 江藤氏が自死を選ばれたことについて、それを「衝撃的」と評する意見が多い。しかし、思想の作品をその思想家の人生とを、区別してもよいが、分離してはならぬと固く思っている私の場合、江藤淳という先輩がこのような形の死に突き進んだことに、何の違和も覚えない。むしろ、かかる孤独な自裁は氏の思想がまぎれもなく要請するところであったろう、という思いが強くする。(97)

 私のいいたいのは、自死を求める心理の下部と存命を図る心理の上部とが氏にあって激しい摩擦を起こし、執筆における精神の不能感や薬剤摂取による身体の不快感がどのように進行したのか詳しいことは知らねども、ついに前者が、つまり心理の下部が、氏の心身を鷲摑みにした、ということである。なぜそう思うのか。私自身もそのような心理過程を、ごくゆるやかな速度においてではあるが、現に経験しているからである。(98) 

 いや、心理という言葉を遣うのは間違いかもしれない。その短い遺書に示唆されているように、心身が全き形骸へ向けて確実に近づいていく、それが自分の未来だと確信するとき、その不動の予期は自分の現在を錆びつかせる。生きながらにして錆びついているという自覚は途方もない虚無感をその人に抱懐させる。その虚無を追い払うべく自死を選んだ江藤氏にはその英知と勇気においてやはり並外れた人物であった、と私は思う。大仰に聞こえるのを恐れずにいえば、真から遠ざかって偽に赴く自分、善を離れて悪に親しむ自分、美を忘れて醜を受け入れる自分、そんな未来しか自分の生存に期待できないとなれば、それに死を差し向けるのが聡明にして廉直というものではないだろうか。私もそのような生死の形を選びたいと念願しているのである。(98)

 江藤氏の訃報に接して、私もまた「よいものをみせてもらいました」といいたい。真と言う科学的な基準、善という宗教的な基準そして美という芸術的な基準のすべてからはるかに遠いところにいる自分ではあるが、それでも、「よく生きるためによく死ぬ」ことはできるのだ。その可能性を江藤氏が示してくれたと私は思う。(99)

 ***

 きょう、久しぶりの休日に福田恆存『保守とは何か』(文春学藝ライブラリー、2013年)を読み返した。「私の保守主義観」でこういう文章があり、西部氏の自死との関連において考えさせられた。

 保守的な生き方、考へ方といふのは、主体である自己についても、すべてが見出されてゐるといふ観念をしりぞけ、自分の知らぬ自分といふものを尊重することなのだ。(183)

 のさん(78)が21日、東京都大田区の多

摩川で入水し亡くなった

西部邁さん(78)が21日、東京都大田区多摩川で入水し亡くなった