万有回

主に趣味の読書について綴っていければと思います。「昭和の残り滓」といわれる世代。

H29-3漢検を終えて

 先日、平成29年度第3回の漢検1級と準1級を受験した。じつは、準1級は既に持っているのですが、せっかく漢検1級の勉強をしているので高得点を狙えればという思いで受験した。が、至るところでミスを連発、自己採点したところ170点程度。ボーダーは一応超えたものの、余り意味のない結果となってしまった。

 肝心の漢検1級の方も、ケアレスミスは思ったほど生じなかったが、難問に手こずってしまった。(無念にも合格には手が届きませんでしたが、自己採点どおりなら152点なので、少しずつ合格に近づいてはきている!)対類、文章題が殆ど出来なかったのが悔しい。「礼楽刑政その極は一なり」なんてどれだけ頭を捻っても出てこなかった。『中国古典名言事典』を繙くと、礼楽と名の付く諺は割と散見されるのですが。(「礼楽は斯須も身を去るべからず」「礼楽は天地の情に偵り」「礼楽は徳の則なり」等々)こういう問題について、現時点で私の勉強法ではカバーできないので(そもそも、こういう1級配当漢字でない「四字熟語」は捨ててしまっているので、「四字熟語」という観点でもカバーできなかった)、今後はこういう盲点をどれだけ潰せるかにかかっていると思う。

 さすがに3回目の受験ということで四字熟語15問中14問をカバーできたのは幸いだったが、唯一外した「気韻静動」(そもそも「韻」は準2級配当漢字ですし)については、完全に盲点であって、現在の私の勉強法ではカバーできなかったと思う。とはいっても、他の設問は全て合っていたので、唯一残った「せいどう」から推測可能なレベルだったので、それはそれで悔しい。そういえば、1回目で「余韻嫋嫋」が出題されていたので、そのときに「韻」つながりで頭に叩き込んでおけば案外カバーできたかもしれない。

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 余談だけれど、最近、仕事でとある記者の取材を受けた。取材後の雑談で、時事や出版の話などいろいろできて、非常に楽しかった。相当マニアックな話になって、「何でそんなこと知ってるんですか」と言われたりした。「〇〇さんみたいな公務員の人は初めてお目にかかりました」とまで言われた。「そもそも公務員に向いてないんだと思います」と自虐的に笑って返した。

 記者の方と話していると妙に共感するのは、「言葉」に対する考え方の違いなのかもしれない。記者は文章で生計を立てており、言葉はなまものであるという認識が潜在的にあるのに対し、公務員という世界の人間は、どうも言葉を堅苦しく規律化されたパターンのように捉える節がある。言葉は意味だけで成立するわけではなく、意味を引いた時に何が残るかこそが重要なので、素人が言葉を意味だけにとらわれて簡素に繋ぎ合わせようとするとスリップして大事故に至る恐れもあったりするのは目に見えているが、そういう認識すらない人が多いことに驚きを隠せない。つまり、私はいま、言語の蓋然性を尊重しない世界に在る、と堅苦しくかつ率直にいってそういうことなんだろうと思う。条文のような無味乾燥な言葉よりも、最前線の事件を暴き出そうとする言語のテンションに軍配は上がるだろう。

 先日、某庁の公印を見た時に、それがダリの「内乱の予感」という絵にしか見えなくなったことがあった。篆書の「文」は、引き延ばされた乳房に酷似している。それで、白川静の「常用字解(第2版)」で文という字を調べてみると、死者の霊が死体から外へ出ていくのを防いで死者の復活を願い、また外からの邪霊が憑りつくことを防ぐものであり、元々は胸部に入れる文身(入れ墨)の意味であったと書かれている。「文」の中央に心臓を書いたり、✕を書いたり、Vを書いたりしたという。爽(あきらか)、爾(うつくしい)、奭(あきらか)なども、この死体に施す入れ墨から派生した語だった。

 アリストテレスが喜劇よりも悲劇を重視したように、言葉の歴史などを繙いていくと、決して綺麗事ではなく、物凄く不気味で、どろどろしたところに繋がっていく。そこに真実味がひろがっている気がして、調べるのが止められなくなる。たとえば「人」という字も、決して「人と人が支え合う」などという綺麗事を意味しない、ということも教えてくれる。新聞記者の方との取材は、仕事のこと以外にも、そういったことを思い起こさせてくれるものだった。

西部邁氏の訃報について

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 先日、評論家の西部邁氏が多摩川で入水したという訃報を見て、驚いた。

 西部氏の著作には中学生の頃から触れていたが、更に個人的な思い出もある。大学に在籍していた頃、ゼミの授業に西部氏が講師として来られたことがあった。日本の核保有が講義のテーマだった。最後に質疑応答があったので、私は挙手して次のように質問した。

 「中国やインドなど核を保有している国は多いですが、なぜ北朝鮮が核を保有してはいけないのでしょうか」

 というのも当時、メディアでは北朝鮮独裁国家という図式の報道が過熱してきていると感じられたし北朝鮮側がなぜ核実験を繰り返すのかという根拠は全く議論されないままに)、中国、ロシアなどの核保有国が民主主義的であるという前提も揺らいできており、世界情勢のなかで危険な方向に向かいつつあると感じられたからだった。

 すると、西部氏からはこんな答えが返ってきた。

 「あなたのその発言は、99%は正しいが、後の1%が決定的に誤っている。それは、北朝鮮が危険な国家、アグレッシヴ(侵略的)であるということに尽きるでしょう」

 おもうに、99%が正しいが云々という独特の言い回しにはこういう真意があったのではないか。核保有論が封殺されている日本でそういった疑念や問題意識を持つのはよいが、アグレッシヴな事件、たとえば拉致事件があったばかりにもかかわらず、被害側の国民として北朝鮮の核保有を赦せるのか、と。要するに、「北朝鮮はなぜ核を保有してはいけないのか」という発言は理論的には誤りではなくとも、現実的判断として無自覚ではないか、ということではないかと個人的に推測した。

 それから数年後に『核武装論』講談社現代新書、2007年)が刊行され、すぐさま読んだのを憶えている。残念ながら手元に無く、記憶を辿るしかないが、北朝鮮に比べてアメリカを始めとする核保有国が莫大な量の原爆を保有している一方、NPT核兵器不拡散条約)の核軍縮等の条約について遵守できていないところもある。それに、ロシアや中国では民主主義であるがゆえに独裁制が生まれ、イラクの場合は民主化がコミューナリズムの引き金となったのだから、民主主義が安全たるいかなる根拠もない、と書かれていた。しかし、そういう危惧すべき現状があったとしても、北朝鮮は侵略行為を繰り返す国家であるというのが国際社会の常識であって、まさにその侵略行為、アグレッシヴな性格こそ、国際社会が警戒し全力で封殺すべき対象なのだ、と。この部分を拝読して、西部氏の発言の真意をやっと理解できたのだった。

 それにしても、ゼミナールやプライムニュース等の番組を拝見していても老いを感じることがなかっただけに、なぜ今、自らの命を絶ったのかということが不思議でならない。しかし、西部氏にはもともと自殺願望があったし、彼の思想的背景、死生観を考えれば必然だったとも思われる。改めて、西部氏による江藤淳の追悼文「自死は精神の自然である」を読むと、明晰な死生観の表れを感じることができ、感涙に咽んでしまう。以下、引用を列挙したい。

 江藤氏が自死を選ばれたことについて、それを「衝撃的」と評する意見が多い。しかし、思想の作品をその思想家の人生とを、区別してもよいが、分離してはならぬと固く思っている私の場合、江藤淳という先輩がこのような形の死に突き進んだことに、何の違和も覚えない。むしろ、かかる孤独な自裁は氏の思想がまぎれもなく要請するところであったろう、という思いが強くする。(97)

 私のいいたいのは、自死を求める心理の下部と存命を図る心理の上部とが氏にあって激しい摩擦を起こし、執筆における精神の不能感や薬剤摂取による身体の不快感がどのように進行したのか詳しいことは知らねども、ついに前者が、つまり心理の下部が、氏の心身を鷲摑みにした、ということである。なぜそう思うのか。私自身もそのような心理過程を、ごくゆるやかな速度においてではあるが、現に経験しているからである。(98) 

 いや、心理という言葉を遣うのは間違いかもしれない。その短い遺書に示唆されているように、心身が全き形骸へ向けて確実に近づいていく、それが自分の未来だと確信するとき、その不動の予期は自分の現在を錆びつかせる。生きながらにして錆びついているという自覚は途方もない虚無感をその人に抱懐させる。その虚無を追い払うべく自死を選んだ江藤氏にはその英知と勇気においてやはり並外れた人物であった、と私は思う。大仰に聞こえるのを恐れずにいえば、真から遠ざかって偽に赴く自分、善を離れて悪に親しむ自分、美を忘れて醜を受け入れる自分、そんな未来しか自分の生存に期待できないとなれば、それに死を差し向けるのが聡明にして廉直というものではないだろうか。私もそのような生死の形を選びたいと念願しているのである。(98)

 江藤氏の訃報に接して、私もまた「よいものをみせてもらいました」といいたい。真と言う科学的な基準、善という宗教的な基準そして美という芸術的な基準のすべてからはるかに遠いところにいる自分ではあるが、それでも、「よく生きるためによく死ぬ」ことはできるのだ。その可能性を江藤氏が示してくれたと私は思う。(99)

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 きょう、久しぶりの休日に福田恆存『保守とは何か』(文春学藝ライブラリー、2013年)を読み返した。「私の保守主義観」でこういう文章があり、西部氏の自死との関連において考えさせられた。

 保守的な生き方、考へ方といふのは、主体である自己についても、すべてが見出されてゐるといふ観念をしりぞけ、自分の知らぬ自分といふものを尊重することなのだ。(183)

 のさん(78)が21日、東京都大田区の多

摩川で入水し亡くなった

西部邁さん(78)が21日、東京都大田区多摩川で入水し亡くなった

秋田くいだおれ

 知人と秋田探訪。美味しい店を探し歩き回るが、TVチャンピオン出場経験のある知人の胃袋には敵わない、と実感。せっかくなので、美味しかったものを掲載。f:id:momokawataro:20171111195609j:plain 川反地区に古くから存在する「やきとり宮本 川反店」。アットホームで落ち着いた雰囲気。若鶏手羽、もも、鶏皮、豚かしら、ねぎま、砂肝、軟骨、豚ばら、つくねなどを盛り合わせで頂く。

 たれはかなり濃い目の味付けになっており、甘辛い焦げた醤油の匂いが食欲をそそる。鶏肉が新鮮で、歯応えがあった。味が濃いので、さっぱりとした茶漬けが食べたくなる。ところが、米が品切れで今から炊くというアクシデントが発生、熱燗を啜ってはまた一串ほおばり、また熱燗を啜り一串ほおばりの繰り返し。危険な状況なので酩酊する前に退散することにした。

 それから、穴場の居酒屋を教えてもらい、深夜3時まで数軒はしご。(薄利多賣半兵ヱで、さざ虫という釣り餌になる幼虫を肴に、宝梅酒のお湯割りで身体を温めたりしながら。)3軒目ですっかり酩酊。

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 翌朝、6時前に起床し、たけや製パンの直営店へ。工場に併設された小さな販売所だが、作りすぎて余った物を6個で388円だったり、破格値で提供している。地元の方だけでなく工場で働く方々も多く訪れているようで、レジの店員が「あら、今日は日曜出勤? おつかれさまー」などと声を掛ける場面もあった。

 ここで私が目を付けていたのが、「学生調理」だった。3年ほど前に食べたことがあったが、美味しいという尺度とは別の感覚、何というか激しいノスタルジーに襲われたのだった。パンの中に詰められたフライ、サラダ、パスタというオールスターズの存在により、それ一つだけで学生の腹が満たされる絶対的な理由が存在し、しっかりと一つのパンの世界として完結していた。それだけでない、この包装、ネーミングなどすべてにおいて完璧なのだ。ここには美味しさという尺度で決して測ることのできない、揺るぎない価値が存在していた。

 今回、その学生調理の隣に、「学生調理Ⅱ」を発見した。学生調理Ⅱや中年調理という製品があることは知識として知っていたが、実際に目の当たりにするととんでもない多幸感に包まれざるを得ない。秋田市に宿泊する時にホテルの朝食が必要なかったのは、何よりも、この「学生調理Ⅱ」を頬張るためだった。が、深夜にかけての暴飲暴食の影響で殆ど寝ていないので、「学生調理Ⅱ」を食べる気分になれず。大方からすれば意味が分からないかもしれないが、私にとっては、学生の気持ちになってちゃんと腹をすかせた状態で食べなければいけないし、そうでないと意味がないのだ。

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 たけや製パンの直営店の近くにデイリーヤマザキ秋田工業団地店があるが、そこらにある普通のデイリーヤマザキを想像してもらっては困る。というのも、コンビニ内に品揃え豊富で本格的なベーカリーが併設されており、贅沢に餡やホイップクリームを包んだ「工団パン」や、エビカツを挟んだ「工団バーガー」などの製品が置いてある。

 2017年11月11日から発売が始まった「平凡人パン」エビ中のぽーちゃんが考案したもの)も在庫が充実していた。実はローソン、セブン、ファミマなどの店舗に行って在庫がなかったのだが、この店には3種類(ザクチョコ、抹茶、晩餐)がすべて揃っていた。(上掲のようなパン売り場だけでなく、レジ前にも展開していた。)

 早速、ザクチョコを食べてみたが、フィリングのザクザクした食感が既製品と違って新しく、意外と長いので一本あれば十分腹が満たされる。りったんこと中山さんが「本当にだいすき! 本当にだいすき!」と秋田分校のライブ中にあえて2回続けて発話し、論理的に謎の嘘っぽさがかもしだされてもいたが、その懸念も払しょくされた。

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  昼すぎ、秋田港の近くのベイパラダイス2Fにある「すごえもん」という食堂へ。じつは、一昨年、昨年もこの食堂を訪れており、今回で3回目である。昨年はカキフライのランチを食べたけれど、サクッと揚がった衣のなかからぷりっとしてジューシーな身が出てきて、臭みがなく新鮮ですごく美味しい。それに、美味しい秋田のお米が山盛りのように盛られてくる。最初、普通の食堂では考えられないような、良心的なお米の量にたじろいでしまった。とはいえ、窓際で秋田港を眺めながら食べると箸が止まらなくなるのが恐ろしい。

 今回食べた鯛のあら煮、醤油ベースの甘めの味付けが癖になるし、身がほろほろ溶けるまでしっかり煮込んであった。鯛を箸で持ち上げただけで、ほろほろと崩れてしまう。まるで猫になった気分で、余すところなく骨の髄まで堪能させてもらった。数年前に銀座で食べた鯛のあら煮は身が固めでほくほくしていたが、それに比べて今回のあら煮はすぐに溶けてしまうタイプのもので、ここまで食べやすいのは初めてだった。

 まさに秋田くいだおれ、と呼ぶにふさわしい2日間だった。今週は徹底的に食事制限をして鍛え上げよう、と心に誓う。

魅惑の鶏ハラミ丼

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 先日、知人の地元を訪れ、昔ながらの食堂で特産品の鶏ハラミを食べた。貝のようなこりこりした食感だが、しっかりと鶏の脂の旨味も感じられ、噛めばかむほどに口のなかに旨味がひろがっていく。しんなりとした葱との相性も抜群で、絡み合う甘い醤油ベースのたれが何ともいえず癖になった。

 30歳を過ぎてから胃が縮んできたのか、以前のように難なく定食を平らげることができなくなったと実感しているが、2人前はありそうなこの鶏ハラミ丼に関しては、漬け物一つ残さず完食してしまった。火がついたように欲望を曝け出しながら、どんどん箸が進んでしまった。この鶏ハラミという部位は、自制心を失わせるくらい美味しかったのだ。(腹八分で止めずに食べ過ぎてしまったことを後悔したが、鶏もも肉などに比べて鶏ハラミはヘルシーであるような気がした。というより、ヘルシーであることを願いたい。)

 特筆すべきは、「噛みしめる度に旨味が分泌される」ことの発見である。たとえば、ステーキの焼き方について大半のひとがレアを好み、ウェルダン好きは少数派と聞いたことがある。けれども、過剰にじっくりと火を通して焼き上げることにより、旨味を凝縮するという考え方があってもよいのではと思う。個人的には、ウェルダン(=蕩けることから噛むことへ比重がうごく)、こそ旨味と歯応えが最高潮に達するのであり、肉を食べているという実感はそこにしかなく、理性が崩壊する瞬間はそこにあるというのが持論。

 鶏ハラミも、ウェルダンのステーキと同様、何度も噛み続けることで旨味が倍増していく食材である。フライパンで調理したであろう食堂の鶏ハラミ丼も美味しかったが、塩味や味噌味など、特に炭火でじっくり焼き上げるのもさぞかし美味しいに違いない。

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 余談だが、久しぶりの休みだったので積読していた文芸誌を読んだ。新人賞で興味を持ったのが「百年泥」。癖のある文章で好き嫌いが分かれると思うが、個人的に合っていたのか面白くすんなり読めて、散文特有の面白さを堪能させてもらった。

 やっぱり、散文とは解体のおもしろさではないかと思う。組み立てていくというよりも、分解していく方のスリルに軍配が上がる。その零度のスリルに身を委せながらも、ビュトールがいったような、「紙とは、他者の延び行く皮膚である」(嘗てキリスト教圏では羊皮紙に聖書を記したことを念頭に置いた言葉)というオーセンティックな思想も重要ではないかと思う。

みたらし団子の奥深い旨味

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 先日、近所の喫茶店でみたらし団子を食べたのだが、至福の時間だった。まず、みたらし団子が運ばれてきた瞬間、皿から湯気が立上り、一瞬にして周りが良い香りに包まれた。これまで、私は湯気の出ているみたらし団子にお目にかかったことがなく、また、これほどまでの香ばしさを放つとは想像だにしなかった。

 それから、熱々のたれで覆われた団子を口に含んでみて、あまりの熱さに火傷しそうになった。団子は高温でホカホカになっていて、口の中で冷ますように転がしていると、舌の上で甘じょっぱい醤油だれの旨味が疲れた体に沁みわたってくる。そろそろ冷めたかと思い団子を噛んでみると、驚くほどに柔らかく、まるで搗きたての餅。イメージしていた弾力感は微塵もなく、あっという間に口の中で蕩け、解れていく。熱さと柔らかさと甘さ、という3つの要素に翻弄されていた時間はただただ至福で、何もかも忘れて、奥深い旨味の世界に没入することができた。

 この頃、お盆休みなどもなく休日出勤や残業続きだったので、割と疲弊していた。たまたま職場で知り合いの県の保健師に会うと、目の下の隈がひどいと言われ、(就寝前にブラックコーヒーを飲むことが多いが)寝る前はカフェインを摂りすぎないほうがいいとか、朝起きたらカーテンを開けて陽光を全身に浴びたり、数分でも昼寝したほうがいいなどのアドバイスをもらったりした。林修の番組にスタンフォード大学の先生がゲスト出演していたらしく、そこで紹介された睡眠法を教えてもらったりした。身近な同僚にいろいろ教えてもらいながら、それでも夜中のカフェインの過剰摂取を一向に止める気がないのもさすがに自分でどうかしてると思うが、そういった毎日の不眠の負債に対して、このみたらし団子は実に良く効いた。だって、あまりの美味しさに、夢のように記憶が飛んでしまったのだから。こんなことは何年ぶりの出来事だろうか。

 そもそも、スーパーなどでみたらし団子を買ったことも人生で数えるくらいしかないが、そういった味に慣れ切ってしまっていたのかもしれない。甘味は音と同じで直截的に迫りくるものなので、人間が抵抗できる性質のものではない。その人間が抵抗できない性質を上手く利用されている気がしたから、甘さという性質にこれまで好意的に慣れなかったのかもしれない。初めて食べた作り立てのみたらし団子をこれほど美味しく感じたのは、そういう目に見えない壁を幾つも破壊し、潜り抜けてきたからかもしれない。

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 近所の川辺を散策していたら、岩の隙間から飛び出てきた蛙に遭遇。よほど暑かったのか、せっかく陽に当たったのに、またこっそり隙間に隠れようとしていた。水車のある涼しい場所だったので、しばらく、蛙のかくれんぼに付き合った。(そういえば、かくれんぼはフランス語でカシュカシュと繰り返していうらしい。ということを、ぐうぜんルピナスの頂き物の紅茶で知った。響きが可愛らしい。というか、考えてみれば、カシェが「隠れる、秘密にする」という意味だったことは憶えていたのですが……。)

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 この頃、気分転換も兼ねてホメロスの『イリアス』などを読んだ。やはり驚いたのがスケールの違いだった。ホメロスの著作は、ギリシャ時代には聖書に匹敵するほどの価値を有するものであったのだろう。現代の文芸と較べてみれば、いかにスケールが小さいかが窺える。殊に、キリスト教全盛の時代にあってホメロスの存在は神に近いものとして、あるいは詩の役割も神聖なものとして認知されていたはずである。つまり、ギリシャにおける詩は没個性的・超個性的でなければならず、少しでも個性が介在する余地があってはならない。

 たとえば、蓮實の三島賞受賞の会見で、NHKの記者が「情熱やパッションがなければ小説は書けないのではないか」と訊くのに対して、「情熱やパッションは全くない。専ら知的な操作によるもの」と蓮實が答える一幕があった。また、この会見で蓮實は「小説とは向こうからやってくるもの」と、耳が腐るくらい何度も記者に説明している。(ところが、記者は真意を全く理解しようとせず、同じ質問を進める始末なのだが。)

 小説というものは常に向こう側から到来し、それを摑まえるのが作家の役割であるという認識に立つことは重要である。内面の豊かさを描くことによって文学が成立してしまった世界と一線を画すということであって、そのNHK記者が、宗教のごとく安易に信じて疑わなかった「近代文学的な自意識像」とも完全に訣別している。世界=Sというサブジェクトの前で、作家は述語的存在にすぎない。ヨットの帆のように風に靡くことしかできない。凝集する世界という側からの命令をテクストに書き込む。考えてみれば、フォトグラフもフォノグラフも、「グラフ=書く、ということ」を起源としていた。

 作家が何かを書くことは、世界とどれほどパラレルでありうるのだろうか。意識の側に振り切ればロマンティシズムとなり、世界の側に振り切ればミメーシスとなる、このふたつの用意周到な罠に陥らずに、いかに正確無比なものを実現するのか。巫女的存在としていかにインターメディエートとトランスレートを同時に行うのか。そもそも、"enthusiasm" の(熱狂、狂気などと訳されるが)本来のギリシア語の語源は「en+theos」(神の内に入りこむこと)であったし、その神憑りこそが『イオン』の根幹であった。(現代の小説はとにかくスケールが小さく、世界の側からの「飽和による恍惚」という感覚がまるでない。これは由々しき問題だと思う。)その神憑りに際して、いかに万全にコンディションを整えるかということなのだろうと思う。

コリアンダーの春雨サラダとスープ

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 知らない間に、庭のコリアンダーが白い花を咲かせていた。白く可憐な状態であれば、この花も食べることができるので、早速収穫する。コリアンダーは、根も茎も実も全て食べることができるので、非常に魅力的な食材。私の狭い想像を超えた、多種多様な楽しみ方に満ちている。)ただ、花が咲くと葉や茎が硬くなって食用に適さなくなるので、食べられそうな葉を急いで収穫する。

 春雨サラダは、当初はナンプラーを加えたりしてエスニック風にするのもよいかと考えたけれど、あっさり食べたかったので酢とライムの搾り汁で味付けした。柑橘系の酸味がコリアンダーの爽やかな香りと合わさり、またシャキシャキとした野菜の食感とねっとりとしたキウイの食感も合い、箸が止められなかった。スープはコンソメと胡椒で味付けしたが、パクチーに熱を通しすぎてしまい、少しくどくなってしまった。干して乾燥させたコリアンダーの種があったので、ミルで挽いて粉末状にしたものを加えた。

 それにしても、この時期の香草はなんて薹が立つのが早いのだろう。仕事に忙殺されて、朝と夜くらいしか碌に面倒も見てあげられていないのに。そういえば、円城氏の『道化師の蝶』に、大量のコリアンダーを前にして、香草は腐敗という時間制限を定めつつ献立に組立てられる、という旨の文章があったのをふと想起した。

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 どうでもいい話だが、ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』を読んでいたら、次の言葉があって考えさせられる。

言葉にされず、形を変えず、ある意味では、書くというるつぼで浄化されることなく通り過ぎるものごとは、わたしにとって何の意味も持たない。長続きする言葉だけがわたしには現実のもののように思える。それはわたしたちを上回る力と価値を持っている。(「壊れやすい仮小屋」59)

 ベンガル語、英語に次いで第三の言語であるイタリア語を学ぶラヒリにとって、イタリア語を活用することは存在証明と同義であった。新しい言語を活用することは、バックボーンが希薄化する状況の中で生き抜く術でもあった。言葉が死滅していく様を人一倍知悉しているがゆえに、言葉が生み出される瞬間に敏感になり、言葉の死期を予測する能力が備わったのだろう。

 事物に対して言語優勢を説くこの考え方は、ラヒリだけでなく多くの移民たちを勇気づけ、現状打破の手掛かりを与えるものである。(但し、彼女の姿勢を見ているかぎり、言語は事物の本質を明らかにすることはない、という本質主義的な思想への充分な反論とはなり得ないと思うが。)それだけでなく、世界文学が全く無関心である「翻訳の政治性」に新たな光を投げかけている。つまり、非政治的に政治性を乗り越えようとしているように見える。

 たとえば、ノーベル賞を受賞した川端が三島や伊藤との鼎談の中で「ノーベル賞を辞退すべきかどうか」という逡巡を表明したことは翻訳の政治性に気付いていたからであり(受賞から4年後の自殺がその影響であるかどうかはさておき)、そもそもサイデンステッカーもキーンも海軍出身であり、そもそも遡って日本が真珠湾を攻撃していなければ、何もかもすべてがあり得ない事態だったのである。また、ここで川端がタゴールの話をしているように、ベンガル語で書いたGITANJALI』という詩集を英訳した人物であったことも重要であって、英語という普遍言語の可能性に想いを馳せていたのかもしれない。(ちなみに、その鼎談の映像はYoutubeにありますので、詳しくはそちらでどうぞ……)