Cashew books

本を貪るのは好物のカシューナッツを食べるのに似ている

カンパーニュの隕石――「ブルーベリーマロン」「オレンジピールチョコチップ」

f:id:momokawataro:20170218131626j:plain

f:id:momokawataro:20170218131957j:plain

 昨年末、岩大工学部の校舎の裏に、カンパーニュというベーカリーがオープンした。テレビの大食い選手権などで有名な、魔女・菅原氏が開いた店である。パンの焼き上げから接客まですべて一人で行うだけでなく、自家培養発酵種を実験し、数十種類の小麦を使い分けるという拘りぶりを耳にするたび、パン好きの好奇心と昔からのミーハー心が手伝って、なるべく早く一度訪れなくてはと思っていた。

 私の目当ては、ブルーベリーマロン。10時頃に訪問したが、籠の中に2個あり、運良く手にすることができた。ライ麦にブルーベリーとマロングラッセがふんだんに散りばめられている。この組み合わせは絶対に美味しいはずと気になっていたが、口の中に入れた瞬間、想像を超える美味しさが広がった。

 まず、このクラストの男前さに心奪われた。嚙み千切るのに顎が疲れるほどのクラストであったが、噛めばかむほど奥深い風味と滋味深さが広がっていく。外皮が頑強な包囲網を形成しているが、その内側にはしっとりと弾力のあるクラムが存在している。噛んでライ麦の香ばしさに恍惚とすると、間もなく、たまたま噛み砕いたブルーベリーから酸味が広がってくる。マロングラッセの濃厚な甘さと、このブルーベリーの弾けるような酸味のバランスが絶妙で、今まで味わったことのない後味であった。

 せっかくなので、直径20cmはありそうな、巨大サイズのカンパーニュも購入。マリボーチーズのものや、ゴルゴンゾーラチーズと胡桃のものもあったが、オレンジピールとチョコチップのカンパーニュという菓子系が1つだけあったので、それを選んだ。チーズの組み合わせは割と想像できるし、すぐ飽きそうな気がしたので。

 この大胆なクープ、中央にふんだんに盛られているチョコとオレンジピールの山。その武骨な塊は異物であり、外界から突如現れた隕石のようにも見える。人間と食物とのあいだに存在する、見えない透明な幕に火がつけられていく。次第に、このカンパーニュはいったいどんな味なのかという強烈な好奇心が抑えられなくなる。そればかりか、このパンをどのように効果的に食いつないでいくかということや、いったい断面はどうなっているのだろうという好奇心をそそられる。

 クラストを噛んでみるとバリバリとやや固く、クラムはもっちりとしていて芳醇。まさにハードの王道といった感じで、さまざまな酸味と塩気が駆け巡っていく。レジで菅原氏が教えてくれたのだが、カンパーニュに使用する麦は3種類で、メゾンカイザートラディショナル(準強力粉)、ライ麦、南部小麦全粒粉とのこと。この3種類の穀物の相乗効果、自家培養酵母の爽やかな酸味も相まって豊かな滋味が生み出されている。噛めばかむほど、麦の多様性に魅了され、幸せな気分に浸れる。私が私の味覚を制御できなくなればなるほど、口の中が異次元にトリップすればするほど、生態系に欠かすことのできない微生物の力というものに想いを馳せ、すっかり取り憑かれてしまう。

 どうしてもこのパン自体が美味しいので、素材の味を愉しむべく、チョコチップとオレンジピールが少ないところを食べたくなる。それに、チョコチップがあると、トーストした際に溶けてしまうという問題も生じる。たまたま、家にタレッジョがあったので薄く切って、パンに挟んでみる。オレンジピールの甘さが、ウォッシュ特有の塩気と濃厚なクリーミーさとよく合っていたと思う。噛み続けているあいだ、絶妙な味と香りの渦巻きに翻弄されながら、しばし陶然とするほかなかった。

 菅原氏のような大食い女王として著名な方がパンベーカリーを営むことは不思議だったが、考えてみれば、ここまで細部に拘ったパン、大量生産の在りようとは程遠い究極の手作りのパンを焼き上げるには、大食漢でなければならないのかもしれない。ずば抜けて巨大な胃袋を有し、多くの食物を摂取するということは、単純に多量の食物を摂取するという意味ではなく、常に食の可能性を切り開き、探求しているように思える。彼女が作るこのパンは、どこから見ても圧倒的に素晴らしく、まるで隕石のように異物であり、食によく精通した人物でなければ焼き上げることができないと思わされてしまうような、この人でしかこれを作ることができないと確信させられてしまうようなものだった。

フィセルの急進性――ミッシェル「トマトとチーズのフィセル」

f:id:momokawataro:20170205123318j:plain

 毎日5時ごろに起きているせいか、休日なのに朝早く目が覚める。先日食べた、ミッシェルというベーカリーの、トマトとチーズのフィセルが美味しかったので再訪することに。

 8時ごろに着いたが、既に店内には行列が出来ていた。お目当てのフィセルを探すと、キッチン側のミルクフランスの横のトレイに一つだけ残っていた。通りすがりに、手に持ったトングで素早く摑み取る。あと数十分早ければ、焼き上がりのフィセルに遭遇できたかもしれないと後悔しながら。

 家に戻り、さっそくトースターで焼き上げる。薄めのクラストがカリっと焦げる頃合いまで、注意深く凝視する。フィセルというのは細くて長いフランスパンで、バゲットよりもクラストの面積が大きい分、硬いカリカリしたクラストを堪能できる。

 昨年、「おいしい文藝」のパン・エッセイ集(『こんがり、パン』河出書房新社、2016年)を読んでいたら、偶然、フィセルに関する阿川佐和子のエッセイが載っていた。フランスのニースにある小さな民宿の朝食でフィセルが出されたそうで、クロワッサンやバタールとも異なる、軽やかで洒落た味わいに魅せられたという。

 それまで、阿川氏はフィセルの存在を知らなかったといい、日本で余り流通していないことを嘆いていた。私もまったく同意見だった。なぜこんなに美味しいものがあるのに、手軽にスーパーで出遇うことができないのだろう。子供の頃から、食パンばかり、いろんな種類のものが並んでいるのが不思議で、フランスパンが少ないことが不満だった。もっとも、クラムよりもクラストを好むフランス人の舌に合うもので(私も比較的そうなのだけれど)、ふんわりとした食パンに馴染んだ日本人にとって魅力的でないのかもしれない。

 とは言い条、ここまで簡単に、田舎のパン屋でフィセルを手に入れることができる。パン屋の探求心に感心すべきなのか、あるいは急進的なフィセル革命が進展しつつあるのか。もし後者であるとすれば、クラスト好きとしては大歓迎である。遅れてきた青年ならぬ、遅れてきたフィセル。フィセル、フィセル、フィセル――。どうしたら、美味しいフィセルにありつくことができるのか、などと休日の朝から考えてしまう病に罹ってしまっている。

 このフィセルには濃厚なガーリックバターがたっぷり塗ってあって、パン生地の中に浸み込んでいる。それだけでも充分美味しいのに、更に伸びのある濃厚なモッツァレラチーズに酸味のあるトマトと香ばしいベーコンが合わさり、複雑なハーモニーを生み出している。この組み合わせが癖になり、手が止められなくなる。いっけん、ピザのようでありながら、全くピザのそれではない。あくまでも、バゲット生地で作られたこのクラストの薄さ、気泡のあるクラムの軽快さがメインとなっており、トマト、ベーコン、モッツァレラチーズ、ガーリックバターはそれほど主張せず、惣菜として副次的なハーモニーを織りなすにとどまっているから。このバランスに、品の良さというものを感じ取ってしまう。

  とりあえず、パンを半分に切って、片方はそのまま食べる。手に持った瞬間、指先にクラムの弾力が伝わってくる。噛んでみれば、クラストのカリッとした食感と、もっちり引きのあるパン生地の歯応えにうっとりとする。残り片方については、縦に薄く切り、更にこんがりとトースターで焼き上げてみる。が、これについては手をつけるのを我慢、しばし断面の構造を眺めやる。夜、お酒のつまみとして嗜もうと思いながら。

f:id:momokawataro:20170205123745j:plain

パンとホイップとチョコの三位一体――ニシカワパン「アベック」

f:id:momokawataro:20170129121338j:plain

 加古川市のニシカワパンは、菓子パンの宝庫。花をかたどった「にしかわフラワー」を始め、白あんメロンパンやサンライズ(西日本では、円形のメロンパンをサンライズ、楕円形で白あん入りのパンだけをメロンパンと称する風習がある)、チャーミーやバッファローやへそパンなど甘党には堪らないパンがたくさんあるけれど、個人的に最も好きなのがこの「アベック」。

 円形のパンを2つに切り、その間に大量のホイップを絞り、さらにその上からチョコレートをふんだんに載せる。ミルク味の濃厚なホイップなのに、驚くほど口当たりが軽く滑らかで、フワッと口の中で溶けて無くなる。チョコレートも苦みのあるビターではなく、甘みのあるミルクチョコレート。甘党へのダブルパンチである。

 ただ、問題はここから。なんと、基礎となるパン生地についてもカスタードが織り込まれており、ブリオッシュ風に仕上がっている。実のところ、生地自体はパサパサとした食感で、パンだけをちぎって食べてみても美味しいとは思えなかった。しかし、パン生地がチープだからといって、すぐに悲観的になるのは間違いである。というのも、口を大きく開けてパンとホイップとチョコの全体を頬張ったときに、それぞれのチープな魅力が何倍にも引き立つのである。(というか、パン食の愉悦はその総合評価の部分にあるのではないかと思ったり。)

 チープな魅力、というのはもちろん褒め言葉である。これだけ材料をふんだんに使っているにもかかわらず、140円という安価な価格設定で売り出しており、背伸びしているところは何もない。これがケーキならば、最低でも倍以上の金額は取られるだろう。

 そもそも、パティシエが同じ材料でケーキを作るとすれば、全く違う作品に仕上がるはずである。「ケーキ」として成立させる幾つかのルールやコードがあるが、「アベック」の場合、「ケーキ」という方向へ美化される幾つかの要素を、チープさによって上手く回避している。即ち、「ケーキ」というジャンルにおける産物ではなく、紛れもない「パン」なのだ。

 大学時代、雑誌で頻繁に取り上げられていた有名なブーランジェリーで、濃厚なカスタードクリームが挟んであるクロワッサンを食べたことがあった。たしかに頬が落ちるほどに美味しいのだが、雑誌で高い評価を受けているほどには、そのクロワッサンが絶品だとは思えなかった。それが何故なのかということを考えてみると、その理由は、「パン」であることから遠く離れてしまい、パンから「ケーキ」のフィールドへと移行してしまったように思えてならなかったからなのかもしれない。(パンの庶民性――、パンを考慮する上で重要な要素である。)ブーランジェリーの看板を掲げていながら、これはブーランジェではなくパティシエの仕事ではないのか。納得できなかったのは、その寂寥感だったのかもしれない。

 今の時代、パティスリーへ行かずとも、コンビニでも実に手軽に本格的なスイーツを味わえることができる。ひと昔前では考えられなかったようなこういったスイーツ革命を前にして、いっぽうで「果たしてそれは進化といえるのか」という疑念、クラシフィケーションへの疑念が頭を擡げてくるのも事実である。たとえば、茶色いモンブランばかりが横行しており、栗の甘露煮の載った黄色いモンブランは姿を消したように見えるが、この状況を「進化」と称するには、どうしても何らかの抵抗を感じざるを得ない。

 パン、ホイップ、チョコーー。この3つの要素を上手く融合させ、三重奏というトライアングルを実現するのは困難であるように思える。「チープ」であるということの枠内において、ここまでの滑らかな口溶けを生み出し、パンとホイップとチョコの一体感を実現させたことは凄いと思う。幼い頃に駄菓子屋で食べた、50円のパサパサしたチョコケーキの味を思い出させてくれる。

 アベックという死語(?)が未だに冠されているこのパン、非常に懐かしい気分に浸れるので、是非おすすめしたい。値段もお手頃だし。

ο

f:id:momokawataro:20170109151828j:plain

  今年見た初夢は、私が喫茶店で珈琲を飲んでいると、前の人が椅子の背凭れによりかかり、いつまでも指揮を振り続けているというものだった。身体が揺れる度に、年季の入った椅子が鋭く軋んだ音を発した。珈琲が運ばれてきても、ラヴェルの「クープランの墓(トンボー)」に合わせて指揮を振りつづけ、明らかに冷めたと思われる頃になっても、全く飲む気配がない。私も珈琲を飲みながら、膝の上で右手でピアノを弾いていたのだが、私が大好きな3曲目のフォルラーヌに差し掛かると、とつぜん音響機器がトラブルを起こして中断してしまう。前の人は宙に手を伸ばしたまま石像のように動かなくなってしまうのである。

 なぜ、こういう初夢を見たのか分からない。原因を追求しても明らかになると思えないし、単なる偶然の産物にすぎないのではないかと思う。もしかすると、大学生の頃、道玄坂にある名曲喫茶ライオンによく出入りしていたことが記憶の底に滞留しているのかもしれない。とりあえず、しばらく聴いていないラヴェルを元旦から無料で聴けたということで、少し得をしたと思うことにする。

 ***

 タイトルについて、イラストにある鯨座のο星のことでもあるけれど、私が好きなサイトウ・マコト『SCENE[0]』の話を少ししたかったのもあった。

 サイトウ・マコト『SCENE[0]』は、2008年に金沢21世紀美術館で開催された、グラフィック・デザインからペインティングに転向した最初の個展だった。当時、私はサンダーバードを乗り継いで、福井から金沢へ見に行ったのだが、余りにも素晴らしすぎて身体の震えが止まらなかったのを憶えている。大判の画集を購入したのも、この時が初めてだった。

 ひとつのイメージから特徴や輪郭が喪失し、無数の様態へと変容を遂げる。感覚的な風景が描かれているにもかかわらず、人間が人間として存立しえるかどうか、「顔」が顔として認識できるか否か、その限界のところまで過剰に物質化される。しかも、イメージを解体する過程で、グリーンバーグピカソを例に「リフレクション」と呼んだように、二次的に絵画を象徴化するような思考過程を経た上で、絵画的とも映画的とも言い難いような、新しいイメージの様態を生み出した。イメージの色彩についても、例えばサーモグラフィーのように色彩で熱分布を可視化できるような有益なグラフィックではなく、「情報の有益性」などといった要素から悉く切り離されている。

 こういうふうに、人間と事物の境い目が判別できないような状態というものに私自身、子どもの時から夢想することが多く、憧れてきたところがある。なぜなら、事物というのは有益性ばかりが強調されることが多く、事物と人間の相関において、殆どのひとが事物の一面性にとらわれてしまう。その事物の一面を見ただけで、事物のすべてを分かってしまった気になってしまい、事物と人間は固定した関係の只中に置かれることになってしまう。(それは「事物についての無知」という誓約を交わしたようなものではないだろうか)たとえば、殺風景な事物というものの最たる例が「コンクリート」だと思っていて、有益性を軸とする思考の負の産物であって、柔らかな人間の思考に壁をつくるものとしか思えなかった。当然であるが、人間の皮膚というものは軟弱にできており、その時点ですでに鉱物に対して勝つことはできていない。

 警備員などを見ると、自身の足がコンクリートに触れていることに対して「俺はコンクリートを踏んでいる」と認識することがあるだろうか、地面がエイリアンだったら最初から踏むという行為はできないはずではないか、などとよく思うことがある。どうして、この警備員をはじめ、多くの人間は足を地面につけたりすることができるのか、寝る時に頭を枕に接触することができるのか、というようなことを考えてしまう。そういうふうに、事物を多様な角度から眺め直すことによって、多くのひとが普遍的な観念として幽閉されてしまった事物のイメージを解体することが必要だと思えた時期があった。だから、人間と事物を同じステータスに置くことについて考えることは、何となく考えれば簡単なようでありながら、実際に突き詰めていくと非常に難儀なことである、なぜなら人間と電柱の差異が消滅する瞬間でもあるし、人間が手をつなぐという情緒的な瞬間すらも仮に電線の模倣にすぎないとしたら……と考えなければいけない状況というのもあって、事物の真理を悟るということが常識的な人間の思考を止めなければいけないということでもあり得るので、いつしか意識の箍が外れる瞬間がくるのではないかと慄いた。

 もちろん、それは非人間的な営みであって、それが難しいということは、所詮、私が常識的であり、事物と癒着しており、人間という存在の中に留まっているにすぎないからかもしれない。近代以降の我々が、「オートノミー」というように「私」を「自治」することしかできないとすれば、もう既にそこに「私」というものは存在しないといえるのではないか。私を自治する能力の低下が問題視されるならば、逆に過剰に自己を支配する熱の上げ方にも注意しなければいけないと思う。たぶん、(事物と言語の関係においては)私はクラテュロス派ではなくヘラクレイトス派なのかもしれない、ということで、とりあえず、日記でもエッセイでもないことをつれづれと書いてみた。

謹賀新年

f:id:momokawataro:20161231184042j:plain

f:id:momokawataro:20170101201025j:plain

 忙しくて中々更新できないことも多いのですが、今年もよろしくお願いいたします。

 師走はいつものように慌ただしく過ぎていって、大晦日も準備に追われる。読みたい本もたくさんあったのですが、全然読めなかった。一応、クンデラの『生は彼方に』を読み進めてはいるのですが、途中で中断してしまった。今年は、休暇のうちどのくらいの私的な時間を読書に充てることができるだろうか、とふと考える。(ただ、そうであるからこそ、読書という行為への過剰な集中は、読書以外の時間を疎かにするということの問題でもあるのですが……)

 大晦日には、おせちとお雑煮を作る。おせちは煮しめを作らない代わりに、蟹すきを作った。雑煮用の餅については、惰性でパンベーカリーで搗く。せっかくのお正月なので、中身はともかくせめて形だけでも。

京華@むつ

f:id:momokawataro:20161224194834j:plain

 大湊の京華で「帆立味噌貝焼き」を食す。じつは、味噌貝焼きを探して下北名産センターにも寄ったが、冬季期間は残念ながら食堂は休業しており、食べられなかった。

 味噌貝焼き(みそかやき)とは帆立の身、豆腐、葱、海藻などを味噌を加えた出汁で煮込み、鶏卵を溶き入れた下北地方の郷土料理である。一般的には帆立貝の殻を鍋代わりに用いるそうだが、京華の場合は貝殻の形をした鍋に盛りつけられている。

 まず、帆立の身から食べてみたが、噛みしめる度に深い甘みと旨味が滲み出す。さすが陸奥湾の帆立である。おそらく春に収穫した帆立を冷凍しているかと思うが、全く臭みはなく新鮮だった。何よりも、海の幸から滲み出た出汁のエキスが鶏卵と絡み合うことにより、なにか濃厚なソースのようでもあり、まるでやわらかい出汁巻き卵のような美味しさだった。帆立の貝を鍋に見立てる料理は、これまでも各地方で幾つか食べたことがあったが、こういうふうに帆立ベースの磯の出汁に味噌を加え、更にそこに卵を絡めて作る料理というのは初めてだった。

 メニューに「お酒のおつまみに」と書いてあったので、熱燗とともに味噌貝焼きをつまもうと考えたのだが、食べ進めてみると白米の上に載せて食べたくなってくる。結局、白米を注文しようかしまいか散々迷ったのだが、他にもそい刺しを注文していたのと、定食屋ならまだしも、居酒屋で白米を注文するというのも何となく粋でない気がして、泣く泣く断念することとした。

 太宰は、「津軽」で味噌貝焼きについて次のように触れている。

 卵味噌のカヤキといふのは、その貝の鍋を使ひ、味噌に鰹節をけづつて入れて煮て、それに鶏卵を落して食べる原始的な料理であるが、実は、これは病人の食べるものなのである。病気になつて食がすすまなくなつた時、このカヤキの卵味噌をお粥に載せて食べるのである。(「津軽」)

 むろん、太宰が書いているのは「津軽式の貝焼き」なので、下北半島式の貝焼きとは異なる。しかし、この濃厚な卵味噌をとろとろのお粥の上にかけてみれば、間違いなく美味しいはずである。おそらく、私がいままで食べた粥料理の中で一番美味しい料理になるだろうと容易に想見できる。

 当時はまだ結核が不治の病といわれていた頃で、この卵味噌を粥に載せて食べることが最上の贅沢だったのかもしれない。良薬は口に苦しというけれど、こんなに美味しい栄養食なら最高だと思う。それに、貝殻を鍋に見立てて、冷蔵庫にあるものでさっと作れるというのも便利だ。「貝殻から幾分ダシが出ると盲信しているところも無いわけではない」と太宰は書いていたが、やっぱりこの料理は帆立貝の殻で煮込むからこそ、美味しいような気がする。

司バラ焼き大衆食堂@十和田

f:id:momokawataro:20161223202431j:plain

f:id:momokawataro:20161223205713j:plain

 以前から、司バラ焼き大衆食堂という店名をよく耳にする機会があった。仄聞するところによれば、「十和田バラ焼きゼミナール」という市民団体が十和田市の名物・バラ焼きを通じて町おこしの活動を行っており、そのアンテナショップとして知られるのがこの大衆食堂だった。

 大衆食堂といえども屋台のような造りで、夜にもかかわらず大勢のお客さんで賑わっていた。私は迷わずバラ焼きを注文したけれども、友人は「なみえ焼きそば」を頼む。どうしてバラ焼きが名物なのに焼きそばにしたか訊いたところ、「味が大体想像できるから」という。いや、でも食べてみないと分からないよ、と突っ込む。

 玉ねぎが敷き詰められた鉄板の真ん中には、豚バラが堆く積み重なっている。玉ねぎが飴色に色づいてしんなりするまで肉を崩さないよう、店員さんが親切に教えてくれる。たれが煮立ちはじめると、たれの旨味が滴り落ちる豚脂と絡み合い、甘い匂いが充満する。この匂いに、一瞬にして食欲がかき立てられる。このたれは、醤油ベースだが甘じょっぱく、擂り下ろした林檎や大蒜などが隠し味で入っていそうな味だった。

 ここからが時間との勝負である。可及的速やかに豚バラ肉を一枚ずつ剥がして、箸で鉄板に円を描くようにかき混ぜる。焦げたたれ、飴色に色づいた玉ねぎ、程よく火が通った豚バラ肉。この三者が、ベストな状態で渾然一体となる。誰が見ても美味しいと思うに違いない、そう思えるほどの最適解である。

 じっさい、バラ焼きを頬張ってみて、さきの疑問が氷解した。この豚バラ肉そのものが、一般的な豚肉と異なり、それほど脂っこくない気がした。味がさっぱりとしているのは、十分に肥育せずに早い段階で屠殺しているからなのだろうか。ともすれば、十和田の畜産の歴史に係わってくることなのかもしれない。バラ焼きという料理が、十和田の「豚バラ肉」の魅力を最大限に引き出すために考案されたものであるとすると、高級なブランド(肥育期間の長い)豚の旨味を引き出す味付けではないところが興味深い。

 十和田バラ焼きゼミナールのHPによれば、戦後間もない頃にバラ焼きは誕生したという。敗戦後の食糧難の時代にあって、牛肉バラやホルモンは、米軍からの払下げで安価で入手できたため、このような調理方法が考案されたとのこと。韓国のプルコギから影響を受けたのではないかとのことだが、確かに似ている。とはいっても、似て非なるものでもある。プルコギを模倣しながら、少しずつ地元の味に合うように、十和田風に改良してきたのだろう。

 余談だが、阿川弘之の『食味風々録』では戦後、牛の尾や舌、犢の脳味噌は安く売られており、オックステール・シチュー等のハイカラな洋風料理を食べたと記されていたのを思い出した。(むろん、オックステール・シチューなどは一部の特権階級に限られた話ではあるが)外国人が食べずに棄ててしまうモノは、多くの日本人も敬遠した一方で、どうにか食べられないかと試行錯誤をした人々もいた。食材に関する情報の乏しい時代にあって、そもそも食べられるかどうかも分からない中での試行錯誤だったわけである。