視覚について
知人とシュトラウスというカフェへ。議題は、青森県立美術館で観たシャガール「アレコ」の4作品について。あるいは視覚について、デュフィの絵はなぜデパートでよく使われるのか*1、ベドウィンの身体能力、独眼竜とムアドディブ、3Dは子供騙しに過ぎないのか、等々。人間の視覚は3D技術によって何の影響も受けないという結論に至った。3Dが好きな人は、視覚以外のアンテナに引っかかっているのだろう。少なくとも僕の目は、シャガールの絵画は飽きずに眺めていられるが、3Dの映像を長時間観ることには耐え難い。
そもそも、5月初旬から目眩に悩まされていて、1か月ほどメリスロンという錠剤を服用している。まるで、毎日メリーゴーランドに乗っている気分である。目について考える機会が増えたのも、そのせいかもしれない。
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先日、プロティノス『エネアデス』を読んだ。グノーシス派への駁論(Ⅱ, 9「グノーシス派に対して」)が気になっていたので読んだが、生真面目な態度で隙がない。なかなかのマッチョイズムである。ここで家の喩え話があり、「家のできぐあいと建築者を非難しながら住み続ける」人間(=グノーシス派)が批判されているが、そもそも彼らはスキゾタイプであり、終の棲家とすら思っていないのではないか、と言いたくもなる。