Cashew books

本を貪るのは好物のカシューナッツを食べるのに似ている

The Clever Rain Tree

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 年度末ということで土曜出勤する。僭越ながら、昇任祝いということでお花やお菓子などを頂いたりして、大変有難かった。

 勤務先の近所にある和菓子屋で知人とお茶をする。和菓子屋なのにランチプレートというのがあるらしく、注文してみることに。俵型のおむすび、お稲荷さん、真薯のお吸い物、卯の花、漬物や饅頭などが載っていて、質素だけれど品が良く、心のこもった料理だった。実家の料理を食べているような既視感というか、懐かしい感覚もあった。

 それよりも、なぜ写真を撮るときに汁物のお椀をとらなかったのか、と反省している。

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 押入れを整理していたら、大江氏の「レイン・ツリー」こと、『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』)が出てきた。中学1年の時、ピアノの習い事の帰りに、たまたま古本屋で購入したもの。大江作品の中で最初に読んだのがこれだった。当時はこの小説のテーマがよく理解できていなかったと思うが、鞄に入れて学校に持って行ったりしていた。

 当時、中学1年の国語教科書はわりと好きだったけれど、読み物としては物足りなさを感じた。近代文学は濃いものもあり充実していたが、特に現代文学のほうが物足りなかった。その時に、古本屋で購入したこの本は私にとって重要で、私にとっての現代文学のテキスト、模範として、その物足りなさを充たしてくれた。

 何よりも驚いたのは、描かれているテーマは難解でありながらも、一つひとつの文章が明晰で洗練されているということ。風通しの良い文章だった。従来の他の小説にみられるような、思想の難解さに応じて晦渋さが増すものとは決定的に異なっていた。たとえば、テクストを氷上に喩えて、いままでの現代文学がスケートだったとすると、この読書体験はスキーのような圧倒的な明快さがあった。こういう洗練された文体=骨組によってどういう建物を築き上げることができるのだろう、という好奇心ばかりが募った。中学生には意味の解せない箇所も多かったが、それでも常に面白さが止まらなかったのは、そのコントロールされた文体への好奇心ともいうべきものが、読み進める上での原動力になったからだったように思える。しかも、その後に読んだ「芽むしり仔撃ち」の文体は、それとはまた別の制禦の理論に依るものであると思えた。(余談だが、クノーの文体練習を知ったのは高校に入ってからだったが、一つの対象を描くとしても99通りの叙述の方法があるということに、文体は作者の精神の蠢きを映す鏡ではないという事実を証明された気がしたのだった。)

 それにしても、この本に出てくる料理はどれも珍しいものばかりで、食欲をそそられた。料理を描くことは文明論に係わることであり、国際的な問題でもあるということを知った瞬間であった。当時、(本作に登場する)「パパイヤ豆腐チャンプルー」を作ってほしいと親に懇願したら、全く違うビーフンの料理が出てきたのを憶えている。