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万有回

主に趣味の読書について綴っていければと思います。「昭和の残り滓」といわれる世代。

フィセルの急進性――ミッシェル「トマトとチーズのフィセル」

惣菜パン

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 毎日5時ごろに起きているせいか、休日なのに朝早く目が覚める。先日食べた、ミッシェルというベーカリーの、トマトとチーズのフィセルが美味しかったので再訪することに。

 8時ごろに着いたが、既に店内には行列が出来ていた。お目当てのフィセルを探すと、キッチン側のミルクフランスの横のトレイに一つだけ残っていた。通りすがりに、手に持ったトングで素早く摑み取る。あと数十分早ければ、焼き上がりのフィセルに遭遇できたかもしれないと後悔しながら。

 家に戻り、さっそくトースターで焼き上げる。薄めのクラストがカリっと焦げる頃合いまで、注意深く凝視する。フィセルというのは細くて長いフランスパンで、バゲットよりもクラストの面積が大きい分、硬いカリカリしたクラストを堪能できる。

 昨年、「おいしい文藝」のパン・エッセイ集(『こんがり、パン』河出書房新社、2016年)を読んでいたら、偶然、フィセルに関する阿川佐和子のエッセイが載っていた。フランスのニースにある小さな民宿の朝食でフィセルが出されたそうで、クロワッサンやバタールとも異なる、軽やかで洒落た味わいに魅せられたという。

 それまで、阿川氏はフィセルの存在を知らなかったといい、日本で余り流通していないことを嘆いていた。私もまったく同意見だった。なぜこんなに美味しいものがあるのに、手軽にスーパーで出遇うことができないのだろう。子供の頃から、食パンばかり、いろんな種類のものが並んでいるのが不思議で、フランスパンが少ないことが不満だった。もっとも、クラムよりもクラストを好むフランス人の舌に合うもので(私も比較的そうなのだけれど)、ふんわりとした食パンに馴染んだ日本人にとって魅力的でないのかもしれない。

 とは言い条、ここまで簡単に、田舎のパン屋でフィセルを手に入れることができる。パン屋の探求心に感心すべきなのか、あるいは急進的なフィセル革命が進展しつつあるのか。もし後者であるとすれば、クラスト好きとしては大歓迎である。遅れてきた青年ならぬ、遅れてきたフィセル。フィセル、フィセル、フィセル――。どうしたら、美味しいフィセルにありつくことができるのか、などと休日の朝から考えてしまう病に罹ってしまっている。

 このフィセルには濃厚なガーリックバターがたっぷり塗ってあって、パン生地の中に浸み込んでいる。それだけでも充分美味しいのに、更に伸びのある濃厚なモッツァレラチーズに酸味のあるトマトと香ばしいベーコンが合わさり、複雑なハーモニーを生み出している。この組み合わせが癖になり、手が止められなくなる。いっけん、ピザのようでありながら、全くピザのそれではない。あくまでも、バゲット生地で作られたこのクラストの薄さ、気泡のあるクラムの軽快さがメインとなっており、トマト、ベーコン、モッツァレラチーズ、ガーリックバターはそれほど主張せず、惣菜として副次的なハーモニーを織りなすにとどまっているから。このバランスに、品の良さというものを感じ取ってしまう。

  とりあえず、パンを半分に切って、片方はそのまま食べる。手に持った瞬間、指先にクラムの弾力が伝わってくる。噛んでみれば、クラストのカリッとした食感と、もっちり引きのあるパン生地の歯応えにうっとりとする。残り片方については、縦に薄く切り、更にこんがりとトースターで焼き上げてみる。が、これについては手をつけるのを我慢、しばし断面の構造を眺めやる。夜、お酒のつまみとして嗜もうと思いながら。

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