Cashew books

本を貪るのは好物のカシューナッツを食べるのに似ている

『人間椅子/押絵と旅する男』(新潮CD)

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 新潮社から2001年に発売されたCD。佐野史郎の朗読が何ともいえず、湿った静かなトーンの粘り気のある朗読で、独特の変態性や不気味さを感じさせる。「押絵ー」の方で、たとえば、老眼鏡を逆さに覗いた時の「いけません、いけません」という老人の台詞や、怪しく大笑いするところなど、大袈裟に感情表現している。そもそも、佐野史郎の声そのものに、捉えどころのない深みを感じる。素晴らしい朗読。ちなみに、音楽は野田昌宏、演出は天願大介(どちらも某動画サイトにもアップされているので、気になる方はそちらでどうぞ)

 日清戦争のさなか、十二階(凌雲閣)の一方の壁にずらっと戦争の仰々しい油絵が掛けてあったというくだり。内容も残酷でおどろおどろしいもので、戦争の広告が支配的だったことが窺える。たとえば、「剣つき鉄砲に脇腹をえぐられ、ふき出す血のりを両手で押さえて、顔や唇を紫色にしてもがいている支那兵」という油絵に対する表現が出てくる。だが、老人の兄が「横浜の支那人町の、変てこな道具屋の店先で、めっけて来た」「外国船の船長の持ち物」だった遠眼鏡というこの言い回しにおいて、(むろん双眼鏡の登場は戦争と無縁ではないにせよ)「戦争」という対象を誘発しないように巧みに回避しているという印象を持つのは私だけだろうか。

 それと、「時代と切り離された奇想」という評があり、え? と思ったので言いたいのだが、たとえば、明治23年浅草六区に日本パノラマ館という、目の錯視を利用してステレオ写真をパノラマのように見せる空間装置が誕生しており(ドイツにはKaiserpanoramaという装置があった)、その後は同じ跡地にルナパークという娯楽場が出来て、客車に腰掛けるとスクリーンに活動写真が映り座席も揺れるという「汽車活動」というものがあった。こういう娯楽装置や輸入品(舶来品)から着想を得ている点で、いうまでもなく時代を色濃く反映しているとは思う。

 ちなみに昨年十二階の跡地を訪れたら、こんなふうになっていた。

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