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本を貪るのは好物のカシューナッツを食べるのに似ている

追憶の老舗喫茶――浅草「アンヂェラス」

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 簡素でありながら上品で奥深い味。(いや、簡素「であるがゆえ」に上品なのかもしれない……)浅草の老舗喫茶「アンヂェラス」のマロンパフェの生クリームをスプーンで掬ったときの、滑らかな舌触りに驚く。昔、ここで知人とチョコレートパフェを食べたことがあったが、一体いつのことだっただろうか。思い出の味、といいたいところだが、口に入れた瞬間、あれ、こんなに滑らかな生クリームだったんだ、と少々驚く。

 「アンヂェラス」は、嘗て谷崎潤一郎が未完の小説で「盲目な蠢動」と称した流動都市・浅草で、1946年から続いている店。外で並んでいる時、人力車の俥夫が「ここは浅草で最も古い喫茶店で有名……」などと紹介しているのが聞こえたが、歴史ある喫茶店なのだ。店名「アンヂェラス」は、初代店主の奥様がクリスチャンで、聖なる鐘の音を意味するとのこと。(友人にそのことを話したら、そういえば、カトリック白百合学園では12時を告げる鐘を「アンジェラス」といった、と教えてくれた。)あたかも礼拝堂を模したような風変わりな建物にしても、随所に関東大震災後の尖端的・大衆的な文化現象の混淆する娯楽都市・浅草の一端を垣間見ることができる。

 谷崎は「日本料理支那料理西洋料理――來々軒、ワンタンメン、蠣めし、馬肉、すつぽん、鰻、カフェエ・パウリスタ」と大正半ばの浅草にみられる新種の料理を列挙したが、外国の生活様式や資本主義が急速に流入し、モダニズムの価値観が社会に浸透するに伴って、大衆が嗜む食べ物も大きく変わっていった。なかでも、当時の浅草は銀座のハイカラな雰囲気とも一線を画すもので、さまざまな異国の食べ物が集まり、食の祭典ともいえる様相を呈していた。この喫茶もその流れに棹差すようにして誕生し、当時は先駆的だったコーヒー(ダッチコーヒーはこのお店が発祥という)やケーキを作り続け、地元民をはじめ、文人や芸能人までもがその味に魅せられてきた。

 さて、僕が頼んだのはマロンパフェとコーヒー、知人が頼んだのがクリスタルマウンテンとサバランなのだったが……お互い少し味見することに。僕は幼少期にサバランが食べられなかったので、苦手意識があったが、一口食べてみると意外と美味しい。洋酒の香りが口中にひろがって、病みつきになりそうだった。手塚治虫が愛したという梅ダッチコーヒーも気になったけれど、梅酒も手作りしていることだし、家で試せばいいかと思ったのでおあずけ。

 帰り際、クッキーを買うのにレジに並んだが、ショーケースに並んだケーキを眺めていたら、なんだか背筋がしゃきっとしてきた。流儀とは何か、と痛感させられた。クラシカルな佇まいで、どれもこれも品を感じるものばかり。しっかりとケーキとして丁寧につくられているのが分かるし、それぞれが完結していて、完成度が高い。いくつも変えようとおもえば変えられるものばかりなのに変えずに守り続けている、信念を貫いているようにみえた。こういう店がいまも浅草にあることが悦ばしくおもえる。

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