万有回

主に趣味の読書について綴っていければと思います。「昭和の残り滓」といわれる世代。

暇つぶしのパウンドケーキ

 8月に入ってから、もう3回もパウンドケーキを焼いた。ブルーベリージャム、キウイジャム、焼き苺によるもの3種。ピスタチオやローズマリーを加えたり、ホワイトチョコを練り込んで焼き上げた。

 昔からパウンドケーキを焼くことがあるが、焼く頻度が上がったのは他者からのリクエストによるところが大きい。パウンドケーキを作ったりしているという情報が広まれば、食べたいというリクエストがあり、それに応じてケーキを作ることになる。ケーキを相手方に差し出せば、相手方も何かしらの物を差し出してくる。が、別に何かしらの物が欲しい訳では全くないし、その双方向の贈与を「交流」と呼んでしまうことに対してもただ違和感しかない。

 小学生の時分、ピアノを習っていた女の子から手作りのクッキーやマフィンを頂いたことがあった。セロファン紙にドライフラワーや麻紐で可愛らしいラッピングがされていた。その気持ちに応えるべく、こちらも手作りのケーキを作ってお返ししたら、なぜか悔し泣きされたことがあった。女子力を否定されたかのようで、傷付いてしまったらしい。それ以来、その子は何度か手の込んだお菓子を作り続けてくれたが、その度に僕はその子の女子力を否定することのないような、手の込んでいない菓子を作るということを何度かしていて、その時に見出したのが、華やかでなく誰でも手軽につくれる、パウンドケーキというものだった。

 僕がケーキを焼くのは単に自分が食べたいから焼くだけのことで、どの素材を組み合わせるかなどを考えるのも、実験のような作業に似ていて面白い。さらにいえば、精神統一といっては大袈裟だが、ケーキを作る過程は瞑想に近く、出来上がったケーキを静かに食す瞬間も何らかの祈祷に近いといえるかもしれない。少なくとも腹を満たすためではないし、そういう目的から遠ざかったところにある。だから、決して誰かに食べてもらうためだけの物ではない。相手方がもぐもぐ食べる姿を見たり、十分腹が満たされたという言葉を聴くことは、要するに本意ではない。寧ろ、苛立ちに近い感情が分泌されなくもない。ただ、唯一喜ばしいのは、時間をかけて作った食べ物が、ほんの数分で跡形もなく噛み砕かれ、消化されるということである。世界でこれ以上に愉快で喜ばしいことはないのかもしれない、と個人的には思う。

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