万有回

主に趣味の読書について綴っていければと思います。「昭和の残り滓」といわれる世代。

H29-3漢検を終えて

 先日、平成29年度第3回の漢検1級と準1級を受験した。じつは、準1級は既に持っているのですが、せっかく漢検1級の勉強をしているので高得点を狙えればという思いで受験した。が、至るところでミスを連発、自己採点したところ170点程度。ボーダーは一応超えたものの、余り意味のない結果となってしまった。

 肝心の漢検1級の方も、ケアレスミスは思ったほど生じなかったが、難問に手こずってしまった。(無念にも合格には手が届きませんでしたが、自己採点どおりなら152点なので、少しずつ合格に近づいてはきている!)対類、文章題が殆ど出来なかったのが悔しい。「礼楽刑政その極は一なり」なんてどれだけ頭を捻っても出てこなかった。『中国古典名言事典』を繙くと、礼楽と名の付く諺は割と散見されるのですが。(「礼楽は斯須も身を去るべからず」「礼楽は天地の情に偵り」「礼楽は徳の則なり」等々)こういう問題について、現時点で私の勉強法ではカバーできないので(そもそも、こういう1級配当漢字でない「四字熟語」は捨ててしまっているので、「四字熟語」という観点でもカバーできなかった)、今後はこういう盲点をどれだけ潰せるかにかかっていると思う。

 さすがに3回目の受験ということで四字熟語15問中14問をカバーできたのは幸いだったが、唯一外した「気韻静動」(そもそも「韻」は準2級配当漢字ですし)については、完全に盲点であって、現在の私の勉強法ではカバーできなかったと思う。とはいっても、他の設問は全て合っていたので、唯一残った「せいどう」から推測可能なレベルだったので、それはそれで悔しい。そういえば、1回目で「余韻嫋嫋」が出題されていたので、そのときに「韻」つながりで頭に叩き込んでおけば案外カバーできたかもしれない。

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 余談だけれど、最近、仕事でとある記者の取材を受けた。取材後の雑談で、時事や出版の話などいろいろできて、非常に楽しかった。相当マニアックな話になって、「何でそんなこと知ってるんですか」と言われたりした。「〇〇さんみたいな公務員の人は初めてお目にかかりました」とまで言われた。「そもそも公務員に向いてないんだと思います」と自虐的に笑って返した。

 記者の方と話していると妙に共感するのは、「言葉」に対する考え方の違いなのかもしれない。記者は文章で生計を立てており、言葉はなまものであるという認識が潜在的にあるのに対し、公務員という世界の人間は、どうも言葉を堅苦しく規律化されたパターンのように捉える節がある。言葉は意味だけで成立するわけではなく、意味を引いた時に何が残るかこそが重要なので、素人が言葉を意味だけにとらわれて簡素に繋ぎ合わせようとするとスリップして大事故に至る恐れもあったりするのは目に見えているが、そういう認識すらない人が多いことに驚きを隠せない。つまり、私はいま、言語の蓋然性を尊重しない世界に在る、と堅苦しくかつ率直にいってそういうことなんだろうと思う。条文のような無味乾燥な言葉よりも、最前線の事件を暴き出そうとする言語のテンションに軍配は上がるだろう。

 先日、某庁の公印を見た時に、それがダリの「内乱の予感」という絵にしか見えなくなったことがあった。篆書の「文」は、引き延ばされた乳房に酷似している。それで、白川静の「常用字解(第2版)」で文という字を調べてみると、死者の霊が死体から外へ出ていくのを防いで死者の復活を願い、また外からの邪霊が憑りつくことを防ぐものであり、元々は胸部に入れる文身(入れ墨)の意味であったと書かれている。「文」の中央に心臓を書いたり、✕を書いたり、Vを書いたりしたという。爽(あきらか)、爾(うつくしい)、奭(あきらか)なども、この死体に施す入れ墨から派生した語だった。

 アリストテレスが喜劇よりも悲劇を重視したように、言葉の歴史などを繙いていくと、決して綺麗事ではなく、物凄く不気味で、どろどろしたところに繋がっていく。そこに真実味がひろがっている気がして、調べるのが止められなくなる。たとえば「人」という字も、決して「人と人が支え合う」などという綺麗事を意味しない、ということも教えてくれる。新聞記者の方との取材は、仕事のこと以外にも、そういったことを思い起こさせてくれるものだった。