万有回

主に趣味の読書について綴っていければと思います。「昭和の残り滓」といわれる世代。

みたらし団子の奥深い旨味

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 先日、近所の喫茶店でみたらし団子を食べたのだが、至福の時間だった。まず、みたらし団子が運ばれてきた瞬間、皿から湯気が立上り、一瞬にして周りが良い香りに包まれた。これまで、私は湯気の出ているみたらし団子にお目にかかったことがなく、また、これほどまでの香ばしさを放つとは想像だにしなかった。

 それから、熱々のたれで覆われた団子を口に含んでみて、あまりの熱さに火傷しそうになった。団子は高温でホカホカになっていて、口の中で冷ますように転がしていると、舌の上で甘じょっぱい醤油だれの旨味が疲れた体に沁みわたってくる。そろそろ冷めたかと思い団子を噛んでみると、驚くほどに柔らかく、まるで搗きたての餅。イメージしていた弾力感は微塵もなく、あっという間に口の中で蕩け、解れていく。熱さと柔らかさと甘さ、という3つの要素に翻弄されていた時間はただただ至福で、何もかも忘れて、奥深い旨味の世界に没入することができた。

 この頃、お盆休みなどもなく休日出勤や残業続きだったので、割と疲弊していた。たまたま職場で知り合いの県の保健師に会うと、目の下の隈がひどいと言われ、(就寝前にブラックコーヒーを飲むことが多いが)寝る前はカフェインを摂りすぎないほうがいいとか、朝起きたらカーテンを開けて陽光を全身に浴びたり、数分でも昼寝したほうがいいなどのアドバイスをもらったりした。林修の番組にスタンフォード大学の先生がゲスト出演していたらしく、そこで紹介された睡眠法を教えてもらったりした。身近な同僚にいろいろ教えてもらいながら、それでも夜中のカフェインの過剰摂取を一向に止める気がないのもさすがに自分でどうかしてると思うが、そういった毎日の不眠の負債に対して、このみたらし団子は実に良く効いた。だって、あまりの美味しさに、夢のように記憶が飛んでしまったのだから。こんなことは何年ぶりの出来事だろうか。

 そもそも、スーパーなどでみたらし団子を買ったことも人生で数えるくらいしかないが、そういった味に慣れ切ってしまっていたのかもしれない。甘味は音と同じで直截的に迫りくるものなので、人間が抵抗できる性質のものではない。その人間が抵抗できない性質を上手く利用されている気がしたから、甘さという性質にこれまで好意的に慣れなかったのかもしれない。初めて食べた作り立てのみたらし団子をこれほど美味しく感じたのは、そういう目に見えない壁を幾つも破壊し、潜り抜けてきたからかもしれない。