Cashew books

本を貪るのは好物のカシューナッツを食べるのに似ている

某若手人気女優の出家について(2)

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 先週の土日も出張が入ったりして、2週間ぶりの休み。読みたい本アーレント『責任と判断』)を持って、近所の喫茶店へ。ここのバームクーヘンが美味しい。外側は甘いカラメルでコーティングされており、カリッとしていて香ばしい。中の生地はしっとりしていて、バターの濃厚な香りが広がる。いっけん、ねんりん家のバームクーヘンに似ている気がしたけれど似て非なるもの、独自のバームクーヘンという印象。おそらく、いままで食べたバームクーヘンのなかで一番美味しいかもしれない。

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 先日、清水富美加が某宗教団体へ出家した件について書いたが、たまたま聴いていたラジオでも、未だにこの話題がとりあげられていた。しかも、驚いたのは全く意味不明な内容で、「"sengen777"というブログを開設したが、まだ記事は更新されていない」というものだった。「sengen777というブログ」というけれど、タイトルを決めかねてただ単にアカウント名がタイトルになっただけの話だろうし、記事も何も存在しない状態なのに、いったい何を報じようとしているのかと不思議でならなかった。

 こういう無意味でどうでもいい情報に惑わされたくないラジオリスナーもいるだろうし、こういう情報に耳を傾けている時間の消費が無駄としか思えない。ラジオで報道すべき情報の質の劣化というか、ネットニュースとの境目が希薄になったのだろうか。マスコミが主体的に獲得した情報でなく、相手方の策略に上手く載せられているだけのような気がして、ただ単にマスコミ側が執拗にストーキングしている事実だけが残るということに嫌悪感を禁じ得ない。

 神とか仏とか、あの世とか、確かめようのないもの、この目で見たこともないものを、私は信じ、神のために生きたいと思いました。(報道陣への直筆コメントより)

 彼女の直筆コメントの中に、このような一文が綴られていたことを看過すべきでないだろう。おそらく、信仰の核ともいうべきこの一文を抜きにして、彼女の出家を語ることはできないと私は思う。事務所との確執や体調の悪化などは副次的な要因にとどまるのではないかと思われるが、マスコミはあたかもこれが主たる要因であるかのように面白おかしく報道するにとどまっている。つまるところ、マスコミの報道はことの本質から外れており、「神学的な探求心」という問題意識の介在を全く理解していない。

 私は読んでいないので詳しくは知らないが、彼女が出家を決意する直接の引き金となったのは、某宗教団体の代表(総裁)が行った「守護霊インタビュー」というものである。(一個人の意見として、守護霊を喚び起こすというこのイニシエーションについては非常に怪しく、科学的合理性を欠くうさんくさい雰囲気しか感じ取ることができなかった。)生まれながらにしてこの宗教を信奉してきた彼女にとって、崇めるべき存在である彼が守護霊を降臨し、信者にとっては奇蹟ともいうべきこの一連の儀式において(信奉しない者にとっては、ただの「洗脳」にすぎないが)、彼女の等身大の言語に翻訳することを通じて、彼女の存在の在り方を示唆したのである。集団的人間のドラマツルギーの象徴として、この儀式を受け容れざるを得なかったのだろう。この儀式を通じて、幼少期から信奉し続けてきた彼女の人間としての内面にいかなる変容が生じたのかということを理解したいところである。

 彼女にとって、この出来事は奇蹟ともいうべき世紀の大事件といえるのではないか。彼女のサバサバした直感的な性格を考えれば、すぐに出家して宗教家に転身しなければならない、女優としての仕事を完遂している暇などないと思ったとしても不思議ではない。仕事を完遂してから辞めるべきではないかという非難の声が多くあったが、それらの社会的常識や倫理というものは神学的探求とは無縁であり、そうであるが故に社会的な責任をすべて擲ってでも宗教家として身を挺するべき、と考えたとしても不思議ではない。そもそも、宗教というのは人間の内面のドラマを重視してきたのであって、社会というものと一定の距離を置き、隔絶されたところで存在してきたのではないだろうか。とはいっても、私はこれまで宗教を信奉したことがなく、今も信奉していない人間であり、門外漢なのだけれど。