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万有回

主に趣味の読書について綴っていければと思います。「昭和の残り滓」といわれる世代。

某若手人気女優の出家について

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 23時ごろに仕事を終え、帰宅。きょうは記念すべきプレミアムフライデー第1回らしいが、相も変わらず火の粉のように振りかかる残務整理に追われる。早く撤収して図書館や美術館を愉しむどころか、夕餉のための食堂すら開いていない。とはいえ、夕餉を食べるほど腹が減っているのかと問われれば、何ら空腹なわけでもない。

 こういう制度を企業側が提案するならまだ分かるとしても、国が主導するという意味が全く分からない。土曜に出勤がある人にとっては気晴らしにすぎないのではないか、窓口業務のある部署はどうするのか。等々、本当にどうでもいい愚痴を胸の裡でつぶやきながら帰宅した。

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 時事ネタには余り反応したくないけれど、某宗教団体に有名女優が出家した件。個人的に関心のある女優さんだったし、しゃべくりのエンターテイナーとしても奇抜で面白い人で、何よりさっぱりしていてねちっこさの対極にあるような性格が好きだったので、これだけ世間から不評を買っているのが非常に残念。

 仕事漬けの毎日なのでテレビの報道は殆ど観ていなくて、ネットニュースくらいしか知らないけれど、おもうに彼女自身が「何らかの宣言をする」と自主的にツイートしたことが発端となって、火に油を注ぐように報道が過熱していっただけの話なので、こういうのは当事者から自主的に偽装されたパターンであり、報道バッシングが初めにあるような芸能スキャンダルの王道のパターンとは違っているのではないかと思う。

 その延長で「告白本」が出版されたということも、営業戦略の一環として別に問題はないと思う。そもそも、メディアの報道も有名女優という話題性に便乗し、視聴率や読者層を拡充することが目的であるから、どうして営業戦略のありようを非難できるだろうか、と思えてしまう。双方ともに、有益性という目的のために動いているのであり、どちらも動機が不純であることに変わりはない。実際には、メディアの側がこの教団に一本取られてしまった、といえるだろう。

 私がもっとも不思議なのは、彼女自身の「出家」という事態そのものではなく、出家先であるこの教団に関する報道が過剰であったということである。実際、世間の常識的感覚から見てこの教団がいかに異常に映るとしても(というよりも、当然すべての宗教は無宗教を信奉する者からすれば異常である)、「信仰の自由」を原則として報道上、必ずフェアでなければならない。が、今回の報道を眺めていると、その絶対的な線が少し揺らいでしまったという印象を受けた。つまり、教団の思想をワイドショー化(笑い飛ばすための材料に変換)することで、教団の異質性を浮き彫りにするとともに多数派の正当性を反復的に強化するという効果が生じているが、最も憂慮すべきは、お茶の間で教団の思想や映像が反復的に消費されるという事態が、そういった狙いを超えたところで、計り知れない影響をおよぼす恐れがあるということである。

 私がこの教団を擁護しているわけでは決してない。この教団が単なる出家という報道の対象であることを超えて、まるで何かの容疑をかけられたように過剰に扱われているように見え、疑問を感じただけである。それが度をすぎると人格攻撃、名誉棄損と見做される場合も考えられる。(以前アーチャリーの手記を読み、フライデー問題などこのあたりの報道の難しさについて感じた。ただ、あれは完全な犯罪集団なので、名誉棄損とは別の観点で捉えているが。)不透明なヴェールに覆われている教団を解剖するのは容易ではなく、どうしても憶測の域にとどまってしまうのかもしれない。

 教団に出家するという事態は例外的で特別なことであり、彼女なしには教団という組織が組織として成立しえないほど、彼女が要職的存在に在ることを示していると思う。経歴書が唾液や手垢を附着させながら、上級の機関へと押し上げられていくパルタイという特殊で閉鎖的な組織の構造を想起させられる。いまや、既に彼女は出家し改名した身として組織の一員と化したのであって、組織の代弁者にすぎない。どこまで彼女自身の宣言として信じればよいのかも疑わしく、バックに存在する組織の関与を常に想定せずにはいられない。ともすれば、「不自由という名の自由」というか、ある種の自由を拘束することで別の自由を手にするといったような彼女自身の矛盾した感慨もひっくるめて偽装工作である可能性も当然ありうるのである。