Cashew books

本を貪るのは好物のカシューナッツを食べるのに似ている

カンパーニュの隕石――「ブルーベリーマロン」「オレンジピールチョコチップ」

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 昨年末、岩大工学部の校舎の裏に、カンパーニュというベーカリーがオープンした。テレビの大食い選手権などで有名な、魔女・菅原氏が開いた店である。パンの焼き上げから接客まですべて一人で行うだけでなく、自家培養発酵種を実験し、数十種類の小麦を使い分けるという拘りぶりを耳にするたび、パン好きの好奇心と昔からのミーハー心が手伝って、なるべく早く一度訪れなくてはと思っていた。

 私の目当ては、ブルーベリーマロン。10時頃に訪問したが、籠の中に2個あり、運良く手にすることができた。ライ麦にブルーベリーとマロングラッセがふんだんに散りばめられている。この組み合わせは絶対に美味しいはずと気になっていたが、口の中に入れた瞬間、想像を超える美味しさが広がった。

 まず、このクラストの男前さに心奪われた。嚙み千切るのに顎が疲れるほどのクラストであったが、噛めばかむほど奥深い風味と滋味深さが広がっていく。外皮が頑強な包囲網を形成しているが、その内側にはしっとりと弾力のあるクラムが存在している。噛んでライ麦の香ばしさに恍惚とすると、間もなく、たまたま噛み砕いたブルーベリーから酸味が広がってくる。マロングラッセの濃厚な甘さと、このブルーベリーの弾けるような酸味のバランスが絶妙で、今まで味わったことのない後味であった。

 せっかくなので、直径20cmはありそうな、巨大サイズのカンパーニュも購入。マリボーチーズのものや、ゴルゴンゾーラチーズと胡桃のものもあったが、オレンジピールとチョコチップのカンパーニュという菓子系が1つだけあったので、それを選んだ。チーズの組み合わせは割と想像できるし、すぐ飽きそうな気がしたので。

 この大胆なクープ、中央にふんだんに盛られているチョコとオレンジピールの山。その武骨な塊は異物であり、外界から突如現れた隕石のようにも見える。人間と食物とのあいだに存在する、見えない透明な幕に火がつけられていく。次第に、このカンパーニュはいったいどんな味なのかという強烈な好奇心が抑えられなくなる。そればかりか、このパンをどのように効果的に食いつないでいくかということや、いったい断面はどうなっているのだろうという好奇心をそそられる。

 クラストを噛んでみるとバリバリとやや固く、クラムはもっちりとしていて芳醇。まさにハードの王道といった感じで、さまざまな酸味と塩気が駆け巡っていく。レジで菅原氏が教えてくれたのだが、カンパーニュに使用する麦は3種類で、メゾンカイザートラディショナル(準強力粉)、ライ麦、南部小麦全粒粉とのこと。この3種類の穀物の相乗効果、自家培養酵母の爽やかな酸味も相まって豊かな滋味が生み出されている。噛めばかむほど、麦の多様性に魅了され、幸せな気分に浸れる。私が私の味覚を制御できなくなればなるほど、口の中が異次元にトリップすればするほど、生態系に欠かすことのできない微生物の力というものに想いを馳せ、すっかり取り憑かれてしまう。

 どうしてもこのパン自体が美味しいので、素材の味を愉しむべく、チョコチップとオレンジピールが少ないところを食べたくなる。それに、チョコチップがあると、トーストした際に溶けてしまうという問題も生じる。たまたま、家にタレッジョがあったので薄く切って、パンに挟んでみる。オレンジピールの甘さが、ウォッシュ特有の塩気と濃厚なクリーミーさとよく合っていたと思う。噛み続けているあいだ、絶妙な味と香りの渦巻きに翻弄されながら、しばし陶然とするほかなかった。

 菅原氏のような大食い女王として著名な方がパンベーカリーを営むことは不思議だったが、考えてみれば、ここまで細部に拘ったパン、大量生産の在りようとは程遠い究極の手作りのパンを焼き上げるには、大食漢でなければならないのかもしれない。ずば抜けて巨大な胃袋を有し、多くの食物を摂取するということは、単純に多量の食物を摂取するという意味ではなく、常に食の可能性を切り開き、探求しているように思える。彼女が作るこのパンは、どこから見ても圧倒的に素晴らしく、まるで隕石のように異物であり、食によく精通した人物でなければ焼き上げることができないと思わされてしまうような、この人でしかこれを作ることができないと確信させられてしまうようなものだった。