Cashew books

本を貪るのは好物のカシューナッツを食べるのに似ている

司バラ焼き大衆食堂@十和田

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 以前から、司バラ焼き大衆食堂という店名をよく耳にする機会があった。仄聞するところによれば、「十和田バラ焼きゼミナール」という市民団体が十和田市の名物・バラ焼きを通じて町おこしの活動を行っており、そのアンテナショップとして知られるのがこの大衆食堂だった。

 大衆食堂といえども屋台のような造りで、夜にもかかわらず大勢のお客さんで賑わっていた。私は迷わずバラ焼きを注文したけれども、友人は「なみえ焼きそば」を頼む。どうしてバラ焼きが名物なのに焼きそばにしたか訊いたところ、「味が大体想像できるから」という。いや、でも食べてみないと分からないよ、と突っ込む。

 玉ねぎが敷き詰められた鉄板の真ん中には、豚バラが堆く積み重なっている。玉ねぎが飴色に色づいてしんなりするまで肉を崩さないよう、店員さんが親切に教えてくれる。たれが煮立ちはじめると、たれの旨味が滴り落ちる豚脂と絡み合い、甘い匂いが充満する。この匂いに、一瞬にして食欲がかき立てられる。このたれは、醤油ベースだが甘じょっぱく、擂り下ろした林檎や大蒜などが隠し味で入っていそうな味だった。

 ここからが時間との勝負である。可及的速やかに豚バラ肉を一枚ずつ剥がして、箸で鉄板に円を描くようにかき混ぜる。焦げたたれ、飴色に色づいた玉ねぎ、程よく火が通った豚バラ肉。この三者が、ベストな状態で渾然一体となる。誰が見ても美味しいと思うに違いない、そう思えるほどの最適解である。

 じっさい、バラ焼きを頬張ってみて、さきの疑問が氷解した。この豚バラ肉そのものが、一般的な豚肉と異なり、それほど脂っこくない気がした。味がさっぱりとしているのは、十分に肥育せずに早い段階で屠殺しているからなのだろうか。ともすれば、十和田の畜産の歴史に係わってくることなのかもしれない。バラ焼きという料理が、十和田の「豚バラ肉」の魅力を最大限に引き出すために考案されたものであるとすると、高級なブランド(肥育期間の長い)豚の旨味を引き出す味付けではないところが興味深い。

 十和田バラ焼きゼミナールのHPによれば、戦後間もない頃にバラ焼きは誕生したという。敗戦後の食糧難の時代にあって、牛肉バラやホルモンは、米軍からの払下げで安価で入手できたため、このような調理方法が考案されたとのこと。韓国のプルコギから影響を受けたのではないかとのことだが、確かに似ている。とはいっても、似て非なるものでもある。プルコギを模倣しながら、少しずつ地元の味に合うように、十和田風に改良してきたのだろう。

 余談だが、阿川弘之の『食味風々録』では戦後、牛の尾や舌、犢の脳味噌は安く売られており、オックステール・シチュー等のハイカラな洋風料理を食べたと記されていたのを思い出した。(むろん、オックステール・シチューなどは一部の特権階級に限られた話ではあるが)外国人が食べずに棄ててしまうモノは、多くの日本人も敬遠した一方で、どうにか食べられないかと試行錯誤をした人々もいた。食材に関する情報の乏しい時代にあって、そもそも食べられるかどうかも分からない中での試行錯誤だったわけである。