万有回

主に趣味の読書について綴っていければと思います。「昭和の残り滓」といわれる世代。

海沿いの定食屋のかつ丼

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 海沿いに、ぽつんと建っている年季の入った建物がある。1階は畜産会社の事務所になっていて、2階が定食屋である。店内に入ると、先客はいなかった。ランチはかつ丼定食かローストビーフ定食の2種類あり、知人がかつ丼を頼んだので私もあやかった。

 700円というお手頃価格にもかかわらず、かつ丼のほか、小さいお椀に鮭のあら汁が盛られ、マカロニサラダ、佃煮、蕪と沢庵のお新香までが付いている。目を疑うような安さだった。少量の七味とともに半信半疑で口へ運んでみるが、カツも分厚くてジューシーで、歯応えがあった。いかにも、かつ丼とはこういう味と思うどおりの味で、かつ丼が食べたくてしょうがない人がいれば決して不満足はしない味。個人的に親子丼などの玉子は、火が通っているスタンダードなものが好きなので、半熟ではないところも好感がもてた。

 高齢のお母さんが手際よくかつ丼を器に盛りつけるあいだ、ラジオは太平洋戦争にまつわる話題を伝えていた。先日、岩波文庫の『断腸亭日乗』をぱらぱらめくったりしていたのだけれど、荷風が亡くなる直前に大黒家という食堂でかつ丼ばかり食べていた、ということを思い出していた。荷風が亡くなるのは昭和34年4月だが、3月中旬からは毎日のように大黒家へ通っていた。主に昼に通っていたようだが、夜に通っていたという記録もある。いったい、荷風はどれほどかつ丼を愛していたのだろうか。

 もしかすると、「カツ(勝つ)」というネーミングからして、死や病気に打ち勝とうという思いがあったのだろうか。かつ丼やとんかつなどは、よく受験生のゲン担ぎで使われるが、昔だって同じだったのかもしれない。現代では「受験に勝つ」が主流かもしれないけれど、戦時中は「敵に勝つ」ためにステーキやカツレツを食べたりした。

 ところで、私が食べ物の写真を撮り続けているからといって、別にグルメなのではない。むしろ、普段は外食を殆どしないし、野菜ジュースやコンビニのパンくらいしか食べない。主食はパンなので、必要がないかぎり米というものを食べない。米を食べたのは、10月に写真を載せたカレー以来なので、実質1か月半ぶりである。

 米を毎日食べる習慣というものがないので、米との距離もよそよそしくなっている。何か月ぶりかに米を食べると、日本の米の美味しさというものにきづかされると同時に、思ったより歯応えがあって顎が疲れたりして、米ってこういう食感だったかなあ、と不思議に思えてくる。休日は知人と外食に出かけることが多いので、特にこれといった意味はないけれど、せっかくの機会とばかりにカメラに撮りためている。