万有回

主に趣味の読書について綴っていければと思います。「昭和の残り滓」といわれる世代。

村田沙耶香『コンビニ人間』

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 久しぶりに、神保町のミロンガ・ヌオーバを訪ねた。学生の頃、神保町でバイトしていたが、甘い蜜に引寄せられるように、ミロンガの入口扉をよく開けた。学生の身分にしては敷居が高かったが、重厚な扉を開けた先にひろがる、タンゴの流れる店内の仄暗い雰囲気が好きだった。他の喫茶店は、ピザトーストの味は申し分なかったにしても、スペースが狭くて窮屈な思いをしたり、会話がうるさかったり、個人的にゆったりと落ち着ける場所ではなく、結局、ミロンガに逃げ込んでしまうのだった。

 「世界のビール」というキャッチコピーの踊るこの店で飲んだのは、スリランカ産の黒ビール「ライオン・スタウト」。焙煎したコーヒーやビターチョコに似た甘苦さが口の中にひろがり、ほどよい酸味でぐいぐい飲める。といっても、一気に飲み干すのは勿体ない気がして、一口含んではグラスを置く。黒い泡のきめ細やかさを見つめていると目が回りそうになる。アルコール8%とは思えないほど、ぐいぐい飲めてしまうのが怖い。

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 (中々休みがなく、実質2週間ぶりだったので……)遅ればせながら、購入していた「文藝春秋」掲載の村田沙耶香「コンビニ人間」を読了した。

 著者のユーモアセンスも抜群で、読み物として面白く、吹きだしそうになる部分が幾つもあった。なかでも、「いらっしゃいませ」「はい」などという言葉のマニュアル的な使用法は非常に面白く、効果的だと感じた。文脈というものを上手く利用しながら、文脈と懸け離れたところで、あえてこういう単純な言葉を意識的に置いていく手つきは見事だと思う。

 つまり、細かな語彙のレベルに至るまで、文学的コノテーションを自然に回避しようという配慮が行き届いていた。まったく肩肘を張らずに、自然体で書き進めることで、変な「文学臭」というものが全くせず、きれいさっぱり取り除かれている。あえてコノテーションを転倒させ利用しようとするのも玄人的な技術だとすれば、本作のようにコノテーションをごく自然に回避してみせる技も、よほど玄人でなければ出来ないはずだ。

 ただ、(又吉「火花」にも感じたことだが)あくまでも「読み物」として面白いと感じたまでで、文学的な毒もなければ目から鱗の出るような新しい表現なども見当たらず、本作が芥川賞受賞作として相応しいのかどうか疑問が残った。別に錦の御旗として援用するなどという気はさらさらないが、「能天気なディストピアから 逃れる方法を早く模索してくれ、と同業者に呼びかけたい」という島田の選評は一顧に値するのではないか。

 やはり、どうしても凡庸な要素を集めて、「コンビニ人間」というテーマに収斂させただけに思える。それが周囲の現代的という評価に直結するが、果たしてコンビニ人間の何が現代的だというのだろうか、さっぱり分からない。ありきたりな要素を集めて、そこに現代的な色をつければよいという方法論の踏襲は、もはや伝統芸になりきってしまっている。

 たとえば、一段落空ける前など妙に文学的な文章が挿し込まれるが、その余韻というものが、まるで演歌のこぶしのように気恥ずかしくて堪らなかった。審査員の山田氏のシンパシーは、そういう意味でのクラシックスに対する共振なのでは、と訝しみたくもなる。