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万有回

主に趣味の読書について綴っていければと思います。「昭和の残り滓」といわれる世代。

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毒想

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  今年見た初夢は、私が喫茶店で珈琲を飲んでいると、前の人が椅子の背凭れによりかかり、いつまでも指揮を振り続けているというものだった。身体が揺れる度に、年季の入った椅子が鋭く軋んだ音を発した。珈琲が運ばれてきても、ラヴェルの「クープランの墓(トンボー)」に合わせて指揮を振りつづけ、明らかに冷めたと思われる頃になっても、全く飲む気配がない。私も珈琲を飲みながら、膝の上で右手でピアノを弾いていたのだが、私が大好きな3曲目のフォルラーヌに差し掛かると、とつぜん音響機器がトラブルを起こして中断してしまう。前の人は宙に手を伸ばしたまま石像のように動かなくなってしまうのである。

 なぜ、こういう初夢を見たのか分からない。原因を追求しても明らかになると思えないし、単なる偶然の産物にすぎないのではないかと思う。もしかすると、大学生の頃、道玄坂にある名曲喫茶ライオンによく出入りしていたことが記憶の底に滞留しているのかもしれない。とりあえず、しばらく聴いていないラヴェルを元旦から無料で聴けたということで、少し得をしたと思うことにする。

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 タイトルについて、イラストにある鯨座のο星のことでもあるけれど、私が好きなサイトウ・マコト『SCENE[0]』の話を少ししたかったのもあった。

 サイトウ・マコト『SCENE[0]』は、2008年に金沢21世紀美術館で開催された、グラフィック・デザインからペインティングに転向した最初の個展だった。当時、私はサンダーバードを乗り継いで、福井から金沢へ見に行ったのだが、余りにも素晴らしすぎて身体の震えが止まらなかったのを憶えている。大判の画集を購入したのも、この時が初めてだった。

 ひとつのイメージから特徴や輪郭が喪失し、無数の様態へと変容を遂げる。感覚的な風景が描かれているにもかかわらず、人間が人間として存立しえるかどうか、「顔」が顔として認識できるか否か、その限界のところまで過剰に物質化される。しかも、イメージを解体する過程で、グリーンバーグピカソを例に「リフレクション」と呼んだように、二次的に絵画を象徴化するような思考過程を経た上で、絵画的とも映画的とも言い難いような、新しいイメージの様態を生み出した。イメージの色彩についても、例えばサーモグラフィーのように色彩で熱分布を可視化できるような有益なグラフィックではなく、「情報の有益性」などといった要素から悉く切り離されている。

 こういうふうに、人間と事物の境い目が判別できないような状態というものに私自身、子どもの時から夢想することが多く、憧れてきたところがある。なぜなら、事物というのは有益性ばかりが強調されることが多く、事物と人間の相関において、殆どのひとが事物の一面性にとらわれてしまう。その事物の一面を見ただけで、事物のすべてを分かってしまった気になってしまい、事物と人間は固定した関係の只中に置かれることになってしまう。(それは「事物についての無知」という誓約を交わしたようなものではないだろうか)たとえば、殺風景な事物というものの最たる例が「コンクリート」だと思っていて、有益性を軸とする思考の負の産物であって、柔らかな人間の思考に壁をつくるものとしか思えなかった。当然であるが、人間の皮膚というものは軟弱にできており、その時点ですでに鉱物に対して勝つことはできていない。

 警備員などを見ると、自身の足がコンクリートに触れていることに対して「俺はコンクリートを踏んでいる」と認識することがあるだろうか、地面がエイリアンだったら最初から踏むという行為はできないはずではないか、などとよく思うことがある。どうして、この警備員をはじめ、多くの人間は足を地面につけたりすることができるのか、寝る時に頭を枕に接触することができるのか、というようなことを考えてしまう。そういうふうに、事物を多様な角度から眺め直すことによって、多くのひとが普遍的な観念として幽閉されてしまった事物のイメージを解体することが必要だと思えた時期があった。だから、人間と事物を同じステータスに置くことについて考えることは、何となく考えれば簡単なようでありながら、実際に突き詰めていくと非常に難儀なことである、なぜなら人間と電柱の差異が消滅する瞬間でもあるし、人間が手をつなぐという情緒的な瞬間すらも仮に電線の模倣にすぎないとしたら……と考えなければいけない状況というのもあって、事物の真理を悟るということが常識的な人間の思考を止めなければいけないということでもあり得るので、いつしか意識の箍が外れる瞬間がくるのではないかと慄いた。

 もちろん、それは非人間的な営みであって、それが難しいということは、所詮、私が常識的であり、事物と癒着しており、人間という存在の中に留まっているにすぎないからかもしれない。近代以降の我々が、「オートノミー」というように「私」を「自治」することしかできないとすれば、もう既にそこに「私」というものは存在しないといえるのではないか。私を自治する能力の低下が問題視されるならば、逆に過剰に自己を支配する熱の上げ方にも注意しなければいけないと思う。たぶん、(事物と言語の関係においては)私はクラテュロス派ではなくヘラクレイトス派なのかもしれない、ということで、とりあえず、日記でもエッセイでもないことをつれづれと書いてみた。

謹賀新年

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 忙しくて中々更新できないことも多いのですが、今年もよろしくお願いいたします。

 師走はいつものように慌ただしく過ぎていって、大晦日も準備に追われる。読みたい本もたくさんあったのですが、全然読めなかった。一応、クンデラの『生は彼方に』を読み進めてはいるのですが、途中で中断してしまった。今年は、休暇のうちどのくらいの私的な時間を読書に充てることができるだろうか、とふと考える。(ただ、そうであるからこそ、読書という行為への過剰な集中は、読書以外の時間を疎かにするということの問題でもあるのですが……)

 大晦日には、おせちとお雑煮を作る。おせちは煮しめを作らない代わりに、蟹すきを作った。雑煮用の餅については、惰性でパンベーカリーで搗く。せっかくのお正月なので、中身はともかくせめて形だけでも。

京華@むつ

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 大湊の京華で「帆立味噌貝焼き」を食す。じつは、味噌貝焼きを探して下北名産センターにも寄ったが、冬季期間は残念ながら食堂は休業しており、食べられなかった。

 味噌貝焼き(みそかやき)とは帆立の身、豆腐、葱、海藻などを味噌を加えた出汁で煮込み、鶏卵を溶き入れた下北地方の郷土料理である。一般的には帆立貝の殻を鍋代わりに用いるそうだが、京華の場合は貝殻の形をした鍋に盛りつけられている。

 まず、帆立の身から食べてみたが、噛みしめる度に深い甘みと旨味が滲み出す。さすが陸奥湾の帆立である。おそらく春に収穫した帆立を冷凍しているかと思うが、全く臭みはなく新鮮だった。何よりも、海の幸から滲み出た出汁のエキスが鶏卵と絡み合うことにより、なにか濃厚なソースのようでもあり、まるでやわらかい出汁巻き卵のような美味しさだった。帆立の貝を鍋に見立てる料理は、これまでも各地方で幾つか食べたことがあったが、こういうふうに帆立ベースの磯の出汁に味噌を加え、更にそこに卵を絡めて作る料理というのは初めてだった。

 メニューに「お酒のおつまみに」と書いてあったので、熱燗とともに味噌貝焼きをつまもうと考えたのだが、食べ進めてみると白米の上に載せて食べたくなってくる。結局、白米を注文しようかしまいか散々迷ったのだが、他にもそい刺しを注文していたのと、定食屋ならまだしも、居酒屋で白米を注文するというのも何となく粋でない気がして、泣く泣く断念することとした。

 太宰は、「津軽」で味噌貝焼きについて次のように触れている。

 卵味噌のカヤキといふのは、その貝の鍋を使ひ、味噌に鰹節をけづつて入れて煮て、それに鶏卵を落して食べる原始的な料理であるが、実は、これは病人の食べるものなのである。病気になつて食がすすまなくなつた時、このカヤキの卵味噌をお粥に載せて食べるのである。(「津軽」)

 むろん、太宰が書いているのは「津軽式の貝焼き」なので、下北半島式の貝焼きとは異なる。しかし、この濃厚な卵味噌をとろとろのお粥の上にかけてみれば、間違いなく美味しいはずである。おそらく、私がいままで食べた粥料理の中で一番美味しい料理になるだろうと容易に想見できる。

 当時はまだ結核が不治の病といわれていた頃で、この卵味噌を粥に載せて食べることが最上の贅沢だったのかもしれない。良薬は口に苦しというけれど、こんなに美味しい栄養食なら最高だと思う。それに、貝殻を鍋に見立てて、冷蔵庫にあるものでさっと作れるというのも便利だ。「貝殻から幾分ダシが出ると盲信しているところも無いわけではない」と太宰は書いていたが、やっぱりこの料理は帆立貝の殻で煮込むからこそ、美味しいような気がする。

司バラ焼き大衆食堂@十和田

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 以前から、司バラ焼き大衆食堂という店名をよく耳にする機会があった。仄聞するところによれば、「十和田バラ焼きゼミナール」という市民団体が十和田市の名物・バラ焼きを通じて町おこしの活動を行っており、そのアンテナショップとして知られるのがこの大衆食堂だった。

 大衆食堂といえども屋台のような造りで、夜にもかかわらず大勢のお客さんで賑わっていた。私は迷わずバラ焼きを注文したけれども、友人は「なみえ焼きそば」を頼む。どうしてバラ焼きが名物なのに焼きそばにしたか訊いたところ、「味が大体想像できるから」という。いや、でも食べてみないと分からないよ、と突っ込む。

 玉ねぎが敷き詰められた鉄板の真ん中には、豚バラが堆く積み重なっている。玉ねぎが飴色に色づいてしんなりするまで肉を崩さないよう、店員さんが親切に教えてくれる。たれが煮立ちはじめると、たれの旨味が滴り落ちる豚脂と絡み合い、甘い匂いが充満する。この匂いに、一瞬にして食欲がかき立てられる。このたれは、醤油ベースだが甘じょっぱく、擂り下ろした林檎や大蒜などが隠し味で入っていそうな味だった。

 ここからが時間との勝負である。可及的速やかに豚バラ肉を一枚ずつ剥がして、箸で鉄板に円を描くようにかき混ぜる。焦げたたれ、飴色に色づいた玉ねぎ、程よく火が通った豚バラ肉。この三者が、ベストな状態で渾然一体となる。誰が見ても美味しいと思うに違いない、そう思えるほどの最適解である。

 じっさい、バラ焼きを頬張ってみて、さきの疑問が氷解した。この豚バラ肉そのものが、一般的な豚肉と異なり、それほど脂っこくない気がした。味がさっぱりとしているのは、十分に肥育せずに早い段階で屠殺しているからなのだろうか。ともすれば、十和田の畜産の歴史に係わってくることなのかもしれない。バラ焼きという料理が、十和田の「豚バラ肉」の魅力を最大限に引き出すために考案されたものであるとすると、高級なブランド(肥育期間の長い)豚の旨味を引き出す味付けではないところが興味深い。

 十和田バラ焼きゼミナールのHPによれば、戦後間もない頃にバラ焼きは誕生したという。敗戦後の食糧難の時代にあって、牛肉バラやホルモンは、米軍からの払下げで安価で入手できたため、このような調理方法が考案されたとのこと。韓国のプルコギから影響を受けたのではないかとのことだが、確かに似ている。とはいっても、似て非なるものでもある。プルコギを模倣しながら、少しずつ地元の味に合うように、十和田風に改良してきたのだろう。

 余談だが、阿川弘之の『食味風々録』では戦後、牛の尾や舌、犢の脳味噌は安く売られており、オックステール・シチュー等のハイカラな洋風料理を食べたと記されていたのを思い出した。(むろん、オックステール・シチューなどは一部の特権階級に限られた話ではあるが)外国人が食べずに棄ててしまうモノは、多くの日本人も敬遠した一方で、どうにか食べられないかと試行錯誤をした人々もいた。食材に関する情報の乏しい時代にあって、そもそも食べられるかどうかも分からない中での試行錯誤だったわけである。

魚喰いの大間んぞく@大間

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 下北半島をドライブすることになり、本州最北端・大間の碑まで辿り着く。早朝にもかかわらず、既に数名の先客がおり、記念写真を撮っていた。自分たちも、せっかくなので真似してみることに。といいつつ、じつは、「記念写真」というのが、(風景と人物を同時に凡庸化する装置のようにも思えて)「観光写真」とかいうのと同じくらい、昔から苦手なのだけれど。

 勢いよく風が吹いていて、あやうく帽子が飛ばされそうになる。こんなに強い風にも動じない、一羽のセグロカモメがいた。近寄っても逃げ去ろうとせず、妙に人懐っこい。「H6」という識別番号が左足に装着されていたのを認めた途端、「ロク」という情報が名とも数字とも付かない、曖昧で不定形の情報としてインプットされてしまう。

 碑の向かいにある、「魚喰いの大間んぞく」という店へ。せっかくなので、豪勢に3色マグロ丼を注文する。もう、昼からは何も食べないと誓いながら。

 丼には大トロ2枚、中トロ4枚、赤身4枚が盛りつけられ、まるでマグロの山がいまにも噴火しそうな勢いだった。トロの身はピンク色に光り輝き、冷凍マグロのそれとは雲泥の差である。まずは、醤油や山葵をつけずに口に運んでみる。舌の上に載せただけで、脂がとろりと溶け出し、濃厚な旨味がひろがっていく。大袈裟ではなく、どのような味か、それを意識しようとした瞬間に、もう舌から消え去っていた。中トロであれば、まだ味覚の中に収まるので、どういう代物かを表現できる意識はあれども、大トロの場合はたやすく旨味の臨界を超えてくる。

 心臓の煮付けと胃袋の酢味噌和えも注文する。どちらも市場には出回ることのない珍味である。赤い心臓部は、牛肉のステーキのような食感にレバーのような濃い味。白いポンプの部分は、ホルモンとかガムのように柔らかく噛み応えがあり、旨味が凝縮されているので、噛めばかむほど体内に力が湧いてくるよう。このポンプが、旨味といい味付けといい、卒倒するくらい美味しかった。また、胃袋のほうは、軟骨に近いようなコリコリとした食感で、酢味噌も美味しかったが、できれば刺身で食べてみたいと思った。

 お店の奥さんとマグロの内臓にかんする話をしていたところ、ありがたいことに冷凍した心臓と胃袋を見せてくれた。このまま刺身でも食べられるけれど、心臓は流水で手揉みして血合いを抜いて煮付けにしたり、胃袋は皮を剥いでから酢味噌で味付けして食べたりすることもあるらしい。あまりにも貴重な部位なので、現在、手に入らなくなっており、知り合いに頼んで購入しているのだという。たしかに、マグロ漁師はマグロの心臓を神饌として御神前にお供えすると、子どもの頃に何かの本で読んだのを未だに憶えている。

 マグロの余韻に舌鼓を打ちながら店の外へでると、窓際に二匹の猫がいた。こちらの猫もカモメと同じで、近寄っても動じようとせず、光の差すほうを眺めている。もしかすると、大間のマグロが餌で、それを食べているからここまでタフになれるのだろうか。そのようなことを考えながら、大間崎を振りかえれば、偶然にも「H6」らしきものが羽をひろげて鳥立ちする瞬間が見えた。

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遠野の産直にて

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 2週間ぶりの休み。職場でお世話になっているT庁の方(仮にT氏とする)をお誘いし、遠野までドライブする。あいにく大雪の日で、恐るおそる凍結した路面を走る。T氏は窓から車を眺めながら、「このあたりは皆スタッドレスですね、都会ではスタッドレスなんて金持ちしか持っていないですよ」などと言っていた。

 産直では、鷹の爪、暮坪かぶ、カシス雲(カシスの濁醪、プリン(低糖質!)を購入。鷹の爪はなんと1束100円、泡盛に入れて自家製コーレーグースを作ろうと思いたつ。T氏を探しにいくと、帆立と牡蠣の水槽を眺めていた。おおっ、こんなに大ぶりな帆立や牡蠣は見たことがないぞ、と驚いていたので、牡蠣も4枚買うことに。

 暮坪かぶはいっけん青首大根のような見た目だが、実際に食べてみると紛れもなくかぶの風味そのもの。しかし、大根おろしとは較べものにならない辛さで、心地よく爽やかな刺激に満たされる。「美味しんぼ」という漫画に究極の薬味としてとりあげられたことで有名らしいけれど、たしかに「かぶ」でありつつも立派な薬味として成立していて、唐辛子やワサビにも引けを取らない辛さが癖になる。手打ちしたそばがあったので一緒にT氏に差し出したところ、かぶと思って油断していたのだろうか、急に噎せてしまい、鼻を押さえていた。が、美味しいと言いつつ、結局はすべて平らげていた。

 「カシス雲」というカシスのどぶろくもT氏に差し出したところ、怪訝な表情で口に含んだ後、驚いた様子で「おっとりとした味ですね」と言った。「米麹が原料というわりには思ったより濃厚じゃないかもしれない」と言ったので、「でも、原料は米ですよ。米とカシスと林檎、米とフルーツですよ。この組み合わせ凄くないですか」と訊いてみると、ゆっくり口に含んで味わいながら、不思議そうに頷いていた。

 牡蠣のほうは、残念ながら火を通しすぎてしまい、少し硬くなってしまった。「少し硬くなってしまいましたね」と謝ったが、「いえ、美味しいですよ。こうやって牡蠣を殻のまま焼いて食べること自体あまりないので」と言っていた。「変化球ですけど、これもかけるとまた違った味になって美味しいんです」とクラフトの粉チーズを差し出してみたが、笑いながら遠慮して、残念ながら試してはもらなかった。

 ほろ酔いになったT氏と、仕事の話をした。「百川さんが1人で全部の仕事をやっていて、羨ましいです。なくてはならない存在というか、それはすごい幸せなことだと思いますよ。百川さんがいなくなったら、この部署はひっちゃかめっちゃかになるでしょうね」ということを突然言われたので、どきっとした。「いえ、私なんかがいなくなっても変わりませんよ、Tさんに教わることが大きすぎて」と言うと、「いや、私は駒にすぎないので」「駒?」「本当に羨ましいんです。都会だと、人間って単なるチェスの駒でしかないので」とのこと。笑って受け流したが、日常会話のなかで、不意に「駒」ということばが出てきたのに若干、戸惑ってしまった。

 たしかに、学生から社会人になり、人間関係は友情よりも利害を重視するあまり、さらっとした人付き合いにとどまってしまうのかもしれない。「駒」であるという意識だけで、責任感をもって職務を全うするのは、余りに精神的な負担が大きいのではないか。T氏は、私が抱え込んだ仕事をよく手伝ってくれたが、全く嫌な顔ひとつしなかった。おそらく、そこに自身が人間の駒であるという意識は介在していなかっただろうし、有意味であるということにおいて協力してくれたのかもしれない。

 先日、古本屋で買った『菜根譚(今井宇三郎訳注、岩波文庫を読みながら、次の文章が気になった。

 好動者、雲電風燈、嗜寂者、死灰槁木。須定雲止水中、有鳶飛魚躍気象、纔是有道的心體。(45)

 人間は動かない雲や流れない水のような心境と、鳶が飛び魚が躍るような溌剌なありようの二面性を兼ね備えてこそ、真に道を修得することができる。灯火は激しく揺れ動けば消えてしまうし、逆に何もしなければ火が消えて灰になってしまう。一方的に動にすぎても、静にすぎてもいけないというのである。ともすれば、ゆとりの趣きが必要とされるのは、むしろ激動の時代にあってこそだろう。穏やかな世界にあってゆとりに甘んじることは、灰になることでしかないのだろうか。

お城山クラフトフェア@横手

イベント

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 すっかり忘れていたのですが、10月初めに横手のクラフトフェアに行ってきました。

 クラフト好きの知人から誘いをうけて行ってきたのですが、恥ずかしながらこういうイベントが毎年行われているとは知りませんでした。2010年から毎年開催されているらしく、なんでも今年で7年目とか。

 天気に恵まれ、大勢のひとで賑わっていて、楽しそうな雰囲気でした。出展者の方々のものづくり愛が伝わってきたのと、それを手にとったり、味わったりする人もまた嬉しそうな表情で、クリエイティブなものづくりを通じた交流の場があるというのは素敵なことですよね。

 個人的に惹きつけられたのは、宮城県の「陶器パルメット」という陶磁器を作っている職人さんでした。ミステリアスな雰囲気があって、まるで古代の壁画を見ているかのようなデザインが面白くて、数点購入させていただきました。ありがとうございました。

 横手城本丸付近で珈琲を飲みながらしばらく休憩した後、一人で牛沼まで散策した。へら鮒釣りをされている方がたくさんいたのが驚いた。こういう美しい景色を眺めながら釣りができるのはいいですよね。それにしても、城郭の外堀での釣りは条例で禁止されているところが多いと思うけれど、オフィシャルというのは珍しいような気がする。

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