Cashew books

本を貪るのは好物のカシューナッツを食べるのに似ている

海沿いの定食屋のかつ丼

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 海沿いに、ぽつんと建っている年季の入った建物がある。1階は畜産会社の事務所になっていて、2階が定食屋である。店内に入ると、先客はいなかった。ランチはかつ丼定食かローストビーフ定食の2種類あり、知人がかつ丼を頼んだので私もあやかった。

 700円というお手頃価格にもかかわらず、かつ丼のほか、小さいお椀に鮭のあら汁が盛られ、マカロニサラダ、佃煮、蕪と沢庵のお新香までが付いている。目を疑うような安さだった。少量の七味とともに半信半疑で口へ運んでみるが、カツも分厚くてジューシーで、歯応えがあった。いかにも、かつ丼とはこういう味と思うどおりの味で、かつ丼が食べたくてしょうがない人がいれば決して不満足はしない味。個人的に親子丼などの玉子は、火が通っているスタンダードなものが好きなので、半熟ではないところも好感がもてた。

 高齢のお母さんが手際よくかつ丼を器に盛りつけるあいだ、ラジオは太平洋戦争にまつわる話題を伝えていた。先日、岩波文庫の『断腸亭日乗』をぱらぱらめくったりしていたのだけれど、荷風が亡くなる直前に大黒家という食堂でかつ丼ばかり食べていた、ということを思い出していた。荷風が亡くなるのは昭和34年4月だが、3月中旬からは毎日のように大黒家へ通っていた。主に昼に通っていたようだが、夜に通っていたという記録もある。いったい、荷風はどれほどかつ丼を愛していたのだろうか。

 もしかすると、「カツ(勝つ)」というネーミングからして、死や病気に打ち勝とうという思いがあったのだろうか。かつ丼やとんかつなどは、よく受験生のゲン担ぎで使われるが、昔だって同じだったのかもしれない。現代では「受験に勝つ」が主流かもしれないけれど、戦時中は「敵に勝つ」ためにステーキやカツレツを食べたりした。

 ところで、私が食べ物の写真を撮り続けているからといって、別にグルメなのではない。むしろ、普段は外食を殆どしないし、野菜ジュースやコンビニのパンくらいしか食べない。主食はパンなので、必要がないかぎり米というものを食べない。米を食べたのは、10月に写真を載せたカレー以来なので、実質1か月半ぶりである。

 米を毎日食べる習慣というものがないので、米との距離もよそよそしくなっている。何か月ぶりかに米を食べると、日本の米の美味しさというものにきづかされると同時に、思ったより歯応えがあって顎が疲れたりして、米ってこういう食感だったかなあ、と不思議に思えてくる。休日は知人と外食に出かけることが多いので、特にこれといった意味はないけれど、せっかくの機会とばかりにカメラに撮りためている。

伊藤整『日本文壇史16―大逆事件前後』

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 久しぶりに1日丸ごと休みだったので、スコーンを作ってみたりした。近くに住んでいる従妹の家に行く用事があったので、その従妹に差し入れすることに。従妹は高校で教鞭を執っているのだけれど、20代後半の女性の部屋とは思えないほどメカメカしている。何十万もする高価な天体望遠鏡が部屋の中心に鎮座しており、キャビネットもさまざまなグッズで埋め尽くされていたりする。むしろ天体望遠鏡のほうが部屋の主役であり、従妹のほうは客人として追いやられている感じがしないでもない。

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 通勤の合間などに、伊藤整の『日本文壇史講談社文芸文庫、1997年)を読み進めていた。殊に興味深いのが、大逆事件を取り扱った「第16巻」である。第16巻は伊藤が病に倒れたため未完の遺著となったが、文芸評論家・瀬沼茂樹が跡を継いで完成させたものである。

 そもそも、伊藤は大逆事件の経緯をなぜここまで綿密に調べる必要があったのか。それは大逆事件が偶発的に生じたものでなく、いわば反自然主義的な文学的潮流の陰画として、明治末年の文壇の動きと呼応した形で起こったからだろう。*1大逆事件の)関係者は多く明治の文学者としての性格をもって終始することがあった」と瀬沼があとがきで書いているように、たとえば幸徳自身もクロポトキン「麺麭の略取」の翻訳を行ったし、「萬朝報」「平民新聞」をはじめ、大逆事件の多くの関係者が様々な新聞や雑誌の編輯に係わっていた。おそらく幸徳自身の社会主義的な思想の原点は出版界にあったはずで、文学者的な一面も兼ね備えていたはずである。つまり、どれだけ言論を過激化し、文章を煽動的にすれば大衆に受入れられて、政府による弾圧や新聞紙条例・讒謗律等の取締りから上手く逃れることができるかということを幸徳は意識していただろうし、政府による迫害と言論の自由とのあいだで板挟みになっていたのではないかと思う。

 伊藤は大逆事件に関与した人物の生い立ちや人間関係を中心に描いているが、それらを詳らかにすることで、決して大逆事件の実態が明らかになるわけではない。そういう意味において、本書はあくまでも「文壇史」という範疇に留まるものでしかなく、大逆事件の真相や実態については殆ど分からない。*2伊藤が描いている幸徳秋水像は、評論などの執筆をつうじて過激な煽動を行うけれども、現実的に革命的なテロリズムを起こそうとは考えていない、あくまでも思想家としての社会主義者である。たとえば、幸徳は宮下太吉から「筆の人であって、実行の人でない」と思われていたり、須賀子からは「爆裂弾によるテロを実行するつもりだが、あなたは実行に加わりたくないようだから、あとで迷惑がかからぬように縁を切っていただきたい」という旨の話をされている。現代の一般的な認識では幸徳は冤罪の人といわれ、非戦論ばかりが取り上げられるが、おそらく伊藤にとっての幸徳は、「何となく暴力革命の謀略という気配が漂いはじめてい」(38)て、「意味のはっきりしない怪しげな人物がときどき現われ」(75)ることもある、思想的な意味で暴力革命を煽動した人物として映っていたのかもしれない。

 日本文壇史と併せて、徳冨健次郎(蘆花)の「謀叛論」『謀叛論―他六篇・日記』岩波文庫、1976年)を読了した。大量処刑の8日後という、熱冷めやらぬ時期に旧一高で行われた講演である。「今度の事のごときこそ真忠臣が禍を転じて福となすべき千金の機会である」「冷かな歴史の眼から見れば、彼らは無政府主義者を殺して、かえって局面開展の地を作った一種の恩人とも見られよう」と蘆花が述べているように、列国も注目しているかような状況下で彼らの異端思想を排斥せずに、寛大な措置を講じることが望ましいと嘆願しているのである。死刑に処すことが、かえって叛逆者の怨恨を増幅させると感得し、報復を引き起こす可能性を懸念してのことであった。*3無念にも幸徳らは処刑されることとなったが、その後も蘆花は、死刑廃止論者として死刑制度への批判を行っていた。思うに、実質的には冤罪であるにもかかわらず死刑という法律の名のもとに大量処刑へ踏み切った国家権力の暴挙、証拠不十分にもかかわらず簡単に人間を処刑してしまう国家に対する憤懣を抑えることができかねたのだろう。*4

 多くのインテリが口を噤む中にあって、叛逆者を支持すれば不敬罪となる危険性を孕んでいるにもかかわらず、しかも地方ではなく東京で、一高の壇上から、多くのインテリの聴衆を前に公然と「叛逆者」を弁護するという事態がいかに「異例」のことであったか。内容ばかりではなく、公然と弁護する姿そのものが、「真のインテリとはこうであるべき」という教育的啓蒙性を兼ねたものであった。実際、文士の多くは傍観者的態度に徹し、口を噤み、何ら弁護することもなかった。つまり、アンガージュマンというような、連累の意思など然して存在しなかったわけである。とはいえ、閉塞した行き詰まりの時代にあって、さまざまな作品の此処彼処に暗い影を落としていることは確かである。たとえば荷風は、市ヶ谷で囚人馬車を目撃し、「私は世の文学者とともに何も言はなかった。私は何となく良心の苦痛に堪えられぬやうな気がした」「自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた」(「花火」)とまで書いているが、その良心の苦痛や羞恥は何ら荷風に限った話ではないはずである。

*1:大逆事件の思想と文壇の動向の遭遇を捉える上で、おめでたき文学者たちの浮かれ騒ぎともいえる「パンの会」黒枠事件が終章で描かれており、まさに象徴的である。ちょうど予審決定を迎え、世間が社会主義は危険思想だと警戒している中、ベルエポック的なおめでたき芸術家や文士たちの参集の場が「異常」なものとして捉えられただろうことは想像に難くない。しかも、明治43年11月20日に三州屋で行われた本会では、谷崎と永井荷風が初めて言葉を交わすという、文学史的な意味での事件も起こるのが興味深い。

*2:本書で最も興奮したのは、荒畑寒村が愛する須賀子が幸徳と同棲していると知り、二人をピストルで銃殺しようと構想するが、目的を果たせずに雨の中小田原の海岸に坐って、ピストルを自分の額に当てたが引き金を引くことができないというくだりである。本来「文壇史」という枠内から漏れてしまうような、個人的な事柄が記載されているところも非常に面白い。

*3:「難波大助の処分について」では、このような文章がある。「幸徳を刑し、大杉を殺し、難波大助を出した。難波大助を刑殺して、而して後何ものが出で来たろうか。総じて善も悪も力は級数を以て進み、反動はヨリ募るものである。私は難波大助がその罪に死んだ後の世の中を危ぶむ。死は必ずしも成仏ではない。」

*4:「生きよう。生きよう。努力して死の支配を脱けよう。個的にも公的にも暴力の支払いを脱けよう。/殺を忌もう。同時に殺に酬ゆる殺を止めよう。成仏する仏をつくる死刑を廃しよう。死刑廃止は戦争廃止に先立つ。(「死刑廃止」、50)「僕はいかに酌量すべき余地はあるにせよ爆裂弾で大逆の企をした人々に大反対であると同時に、これを死刑にした人々に対して大不平である。お互に殺し合いは止したらどうだろう。」(「死刑廃すべし」、40)

樋口毅宏『民宿雪国』

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 何でもいいのでできるだけブログを更新したいと考えているものの、それなりに多忙で趣味に没頭できる時間もなく、話題に乏しいのが現実である。

 昨日も一日仕事していたが、殊に日曜日の今日は忙しかった。早朝からいろいろイベントがあって出勤しなければならず、バナナと野菜ジュースで乗り切る。午後は大学の年次総会などに呼んでいただいているので出席。懇親会にも出るが、夕方から重要な部会が控えているため、前菜と魚料理(上掲の写真)を食べたところで、申し訳ないが途中退席させていただく。(メインディッシュすらも食べれず……)結局、電車に乗りながらソイジョイ(ピーナツ味)を食べ、部会の準備へと向かった。

 部会が終了するのはたいてい夜で、それから何かを食べようと思っても、胃が塞がっていて何も食べる気にはなれない。こういうふうに夜遅く仕事が終わる時は、いつも決まってLawsonのグリーンスムージーのドリンクを購入している。これなら飲んでいいや、と思えるし、ストレスなくすーっと飲めるので、いつも助かっている。栄養や健康を考えているわけではなくて、単に飲みやすいから飲んでいるだけなのだけれど。

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 通勤時間のあいだに、樋口毅宏民宿雪国祥伝社を読んだ。ストーリーもナンセンスで、文体も構成も凡庸だったが、「暴力」「狂気」といった要素の渦巻くエネルギーには感服した。

 文体については、ありふれた言葉しか用いていないせいか、文体の「顔」が曖昧で判然とせず、特定できない。文体に対する美意識のレベルが低く、記憶に留める要素が「暴力」と「方言」だけになってしまっている事態に危うさを感じた。また、構成については、後半の伝記が無意味で、前半のエピソードと有機的に繋がっていないと思われた。在日の設定にしても作為的だし、第3章で「H・Y」(某実業家を連想させる人物)「C・M」(某カルト団体教祖を連想させる人物)といった人物が登場するが、最後までこれらのフェイクが登場する理由は見当たらない。

 ただ、第1章というものだけに絞ってみれば、非常に面白い読み物である。(個人的には、変に伝記という設定がなくても、この第1章を長篇まで拡張した読み物が読みたかった。)ここまで、著者が「暴力性」という要素を全面的に信仰し、その絶対的なエネルギーの怒涛のもとに、殺人も陵辱もセクシャリティも何もかも描き切ってしまおうという、余りに野蛮すぎる意図に驚くしかない。もとより、私はその発想を何ら否定しないし、寧ろひとつの意図として尊重することを択びたい。

 「男の散り際を見せてみいや」という台詞一つにしても、作中のさまざまな恣意的な言葉のコノテーションがエネルギーの渦となって押し寄せ、その台詞の妥当性をいっそう増している。著者はコノテーションの扱いに長けているかもしれないが、コノテーションを利用している/されている段階にすぎず、このコノテーションそのものを破壊し、新たな意味を建設する段階には到っていないように見受けられる。したがって、どうしても作中で描かれる暴力や狂気が思い付きの域を出ないように見えてしまい、言葉に慄えることができない。私としては、新たな「暴力」「狂気」の描写によって慄えたいだけではなく、新たな言語が製造され、発明された瞬間に立ち会わないとどうしても面白くない。

月の輪@紫波

 

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 肌寒くなってきたのに、なぜか季節外れのジェラートを食べることに。酒粕×クリームチーズが半々ずつ、しかも伝統ある酒造が作った商品とあってかなり濃厚。残念ながら、寒すぎたのもあって最後まで食べきることができなかった。

 おもえば、今夏は全くアイス食べなかったので、アイス自体食べたのが1年半ぶりくらいかもしれない。

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 『反劇的人間』という本でドナルド・キーン安部公房が対談しているが、「美しい日本語とは何か」(第4章「文学の普遍性」)について議論しているくだりがある。

 ドナルド・キーンは言語表現としての正確さを追求すると中性的になる恐れがあると危惧するのにたいして、安部公房は自然科学的な正確さの追求ではなく、固有性にとっての正確さ、感覚的な正確さの追求が重要なのだから、必ずしも中性的ということではないという。(日本語の乱れ、日本語の美しさを過度に主張する人々の書くものが全く良いと思えないという安部の批判は、模範的・教科書的な書き方が自然科学的な正確さでしかなく、中性的な軸に偏ってしまうこと、必然的にアポリアに陥ってしまうことへの無自覚さへの批判でもあるかもしれない。)

 たとえば、ガラスのコップは二度と同じように光らないので、大衆作家のように「ガラスのコップがキラッと光った」などと書くべきではない。「非常に美しく光った」などと書くと、言語それ自体が前へ出すぎるので中性的で駄目になってしまい、「美しい」という主観の内容を詳述すればよいかといえば、それも総体的すぎて駄目になってしまう。それでは、固有性、一回性の美しさをどう表現すべきなのか。

 安部の理論を敷衍すれば、「その書き手にしかできない、オリジナリティのある、ただひとつの言語表現を探すしかない」ということになる。これは普遍的な言語表現の追求なのだから、越境性があるというか、日本語であっても英語であっても変わりないことであって、日本語という特殊性の制約を過度に気にする必要もない。たとえば、ピアニストがピアノという楽器に熟練していて、このくらい指と鍵盤の距離があってこのくらいの速度で弾けばこういう音が響く、と弾く前から感覚的に分かり、かつそれを確実に実現できるように、書き手も日本語というものを知悉し、熟練していなければならない。

 それから興味深かったのは、オーバーな身振りで指を誇張させるタイプのピアニストよりも、切手か何かを細々と分類するような恰好で、静かに無感情にピアノを奏でるピアニストのほうが好きだと安部が話していること。物を書くときにも、分かりやすい言葉で、できるだけ漢字を少なくして、言葉の色合いなどを常に抑制しながら、複雑な言葉との調整を無意識で行うという。私も幼い頃からピアノに慣れ親しんできたけれど、音色だけではなく音のかたちや輪郭といったもの、前後への影響であるとか、どういうふうな破綻をもたらすかということも含めて無意識で考えていて、それが少しでも意識に上ってくると演奏は成り立たなくなってしまうというジレンマがあったので、安部公房の発言がしっくりきたのだった。

Backstube Zopf@松戸

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 ハード系のパンとの出逢いは、小学生の頃だった。東京の親戚が買ってきたバゲットをトーストしてバターを塗って食べたところ、余りの美味しさに衝撃を受けた。やや焦げめのクラスト、もっちりしっとりとして弾力のあるクラム、鼻から抜けるバターの芳醇な香り……。レーズンやクランベリーなどがふんだんに入ったバゲットで、噛むたびに滋味深い小麦の美味しさに気づかされ、それからしばらくパンばかり食べ続けた。

 Zopfのパン・オ・フリュイを食べて、その記憶が蘇ってきた。ブルーベリー、クランベリー、胡桃などが余すところなく隅々までたっぷりと詰め込まれているバゲット。残念ながら幼少期に食べたバゲットの店はもう存在しないが、パン・オ・フリュイの食感といい形といい、幼い頃の記憶にあるバゲットと、驚くほど何もかもが酷似している。まるで、初恋の相手に数十年ぶりに再会したかのようであった。

 バゲットを少し厚めに切り、クラストが焦げてカリカリになるまでトーストする。オーブンから甘い香りが漂ってくるので、早速熱々のところをとりだし、昔から愛用しているカルピスバター(有塩タイプ)を表面に薄く塗りたくる。個人的に無塩ではなく有塩タイプが好みで、フルーツとクラムの甘さとバターのしょっぱさが絶妙に合い、何ともいえないハーモニーを奏ではじめる。ほかにも、職場の同僚から頂いた大西ファームのバーニャカウダーを塗ってみたが、にんにくのピリッとした辛さと香りが甘さを引き立てていた。柚子胡椒オイルはよくやるので、バーニャカウダーも是非レパートリーに加えたい。

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 Zopfのパンで個人的に最も好きなのは、ゲズンドという雑穀パン。(江古田パーラーのくるみパンに似ている。)小麦粉、ライ麦粉、はと麦、発芽玄米、マルチシリアル、きび糖、天日塩、パン酵母などの豊富な原材料が使われており、栄養素的にも抜群。とうもろこし、ヒマワリ、燕麦、アマニ、グリッツやゴマなどの栄養価の高い穀類がふんだんに散りばめられていて、独特の穀物(とくにライ麦粒)の甘さと滋味深さをつくりだし、いろんな味や食感を生み出している。噛めば噛むほど、口の中でいろんな味がして、穀物同士が化学反応をうみだし、小宇宙を形成している。たとえば、低糖質ダイエットでお馴染みのLawsonのブランパン(ふすまパン)が数年前から流行っているが、栄養素的にもダイエット的にも、このゲズンドに勝るパンって存在しないんではないかな、と思う。

 おすすめの食べ方は、ゲズンドにレタスやトマトなどの野菜とマリボーやサムソーなどのチーズを挟み、その上に炒めたベーコンを乗せる、というもの。先週は、薄く切ってクラストをこんがりと焼き、マリボーとレタスとハムを挟んで食べた。ふわっと柔らかいクラムの食感が美味だった。ほかにも、ゴルゴンゾーラドルチェという青カビタイプの柔らかいチーズを塗って焼いてみたら、ブルーチーズ特有の癖もなく風味も穏やかで、非常に美味しかった。フロマージュフレやブリヤサヴァランフレなども試してみたい。どんなチーズを入れても違和感がなく、雑穀の滋味深さがより増すように思えるあたり、ゲズンドというパンの凄いところかもしれない。

中勘助『蜜蜂・余生』

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 休日にビアガーデンで頼んだ、白身魚フライ付きのカレー。カレーと白身魚のフライの組み合わせは初。

 白身魚にスプーンを入れると衣はサクッとして、身はふっくらとして柔らかく、ほんのりと甘味も感じる。肉よりも上品で、海の香りも広がるので、個人的に肉より魚のほうが好きかもしれない。カレーは思ったよりスパイシーで液状感が強く、スープカレー感覚でさらっと食べられる。できれば、夏の暑い日に食べたかった。

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 中勘助「蜜蜂」(『蜜蜂・余生』)を軽い気持ちで読み進めたが、途中から胸が詰まる思い。ことに、日記の終盤に差し掛かると、一つひとつの鋭い箴言が多層的な記憶のレイヤーに重なって美しく響き合い、姉を亡くした悲哀といったものが痛いほど伝わってくる。

 解説で生島遼一が書いているように、勘助が≪我執≫のつよい性格だったというのは同意見である。兄についての回想で、「広い意味でのひとの好意を渇するごとくに望みながら自分が真にひとを愛することができないゆえにひとの好意をもまた素直にうけいれることができず、あのような状態になってさえも終に我をすててひとに頼り、ひとの親切にすがることをし得ずに一生自分の因果な性質に苦しめられとおして――この点母も全く同じだった」(141)とあるが、これは兄や母に対するばかりでなく、作家としての勘助自身にも同様に当てはまるのではないかと思われる。

 その人並み外れた我執の激しさからうみだされたのが、9月3日の詩だろう。衒いのない素朴な詩であるがゆえに、他の日記の詩と較べていっそう悲しく、切実に訴えかける詩となっている。さらに、その後の9月7日で示されるエピソード、この些細な内容が激しく胸を打つ。

 ある日、私が茶の間で食事をすませてからいつものとおり病室へいって枕もとに坐ったときにいくらか恨みがましく この頃はなかなかきてくれなくなった といった。そういわれて私もはっと気がつき、姉は湯たんぽをいれて床のなかにいるのだからわかるまいが火の気のない病室の冷たさが痩せた自分にこたえるので、暖い茶の間に坐ってる時間が知らずしらず長くなったのだと謝罪的に弁明した。姉は「あーそうか」と胸にこたえたらしく、また自分で自分に納得したらしくいったが、その後は何につけてもひと言も不満をいわず、用事も出来るだけ頼まず、あっちへいっててもいい とまでいった。(139)

 素朴なエピソードのようでありながら、姉の悲しみといったものを見事に書き表している。病的なまでに研ぎ澄まされた神経からしか達成できない見地と思われるし、どういう気持ちでこの日記を綴ったかと問いたくもなる。研ぎ澄まされた言葉も、病的であることも、すべてが「姉の悲しみ」という核心に回収され、収斂していく。

 この悲しみといったものは、何によって生み出されているのか。言葉の美しさに由来しているだろうけれども、単に言葉からだけではないことは明らかである。

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薩摩芋餅、立食いそば

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 職場の近くに、若い女性が切盛りしている小さなカフェがある。珈琲などの飲み物やロコモコなどのランチだけでなく、なぜかお餅や雑煮にも力を入れている。

 新メニューに薩摩芋のお餅というのがあったので、試しに注文してみる。驚いたのは、たれがしょうゆ味のそれではなく、薩摩芋のペーストだったこと。どろっとして濃厚だがそれほど変に甘くなく、素材の甘さが引き立つ程度に抑えられている。案外、薩摩芋の風味が餅と合っていて、不思議な感覚だった。

 久々の餅の威力たるや凄まじく、ボリューミーで腹持ちがよい。おかげで晩飯抜きとなった。

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 そういえば、前に所属していた部署の上司は、自称「立食いそばマニア」だった。

 会議や仕事が終わると、よく駅の立食いそばへ誘われた。うどん嫌いで、そば専門の人だった。熱々のそばが差し出されると、素早く麺を啜り、あっという間につゆまで平らげてしまうのだった。その時点で、私はまだ半分も食べ終えていなかった。まるで食事の迅速性を競っているかのようだった。

 一緒にそばを食べている時、「あまりにホットドッグ的な」という倉橋のエッセイが頭をよぎるのだった。ホットドッグがアメリカにおける単一性(unity)の象徴であり、アンチ・ダイバーシティであるとするならば、立食いそば・うどんの類も同様というのである。味や旨さの実感ということの優先順位が低く、単に空腹を満たすこと、機械的に喉から胃へ押し流すことが目的なのであって、偏執狂の一種とみることもできる。

 逆に、牛鍋の旨さに恍惚となりながら、娘が差し伸べる箸すらも無視し、食に集中する男の姿を描いたのが鷗外。まるでこの男は、牛鍋の旨さを実感することに対して全神経を費やし、全ての時間を捧げているようである。(同じく、鷗外も圧倒的で的確な描写と無駄のない論理展開によって、その一幕を描き出している。)独逸流の衛生学かぶれの鷗外は何でもかんでも火を通したがる癖があったという、森茉莉『貧乏サヴァラン』の逸話をどうしても想起せざるを得ないが、この芸術至上主義的態度についても、ホットドッグの事例と同様、偏執狂の一種といえるかもしれない。

 ある日、大学教授との打ち合わせが終わった頃、よろしければ立食いそばに行きませんか、と突然上司が訊ねた。教授は若干戸惑った様子で、しばらく立食いとは縁がないですねえと遠回しに話していたが、上司は全く意に介さずといったふうだった。また、教授は、大学傍の料亭の鴨南蛮が好きだとあえて仰っておられたが、上司はさしたる興味も示さず、その場の相槌で軽く受け流していた。まだ部下も連れていってあげたことのない穴場の駅の立食いですので、期待してください、などと自慢気に話していた。

 結局、その駅で出されたそばは、他の駅の立食いそばと全く同じもので、何の違いもなかった。むしろ、麺の食感が少し不満だったので、個人的には別の駅の立食いそばのほうが好みだった。この駅の立食いが穴場というのは嘘だったのではないかと勘繰りもしたが、食後に上司が満足気な表情を浮かべていたのを見て、ここが穴場というのはあながち嘘ではなく本当なんだな、と思った。穴場の理由は、さっぱり分からないけれど。